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銀魂。何故かザキの話が出来た。ザキいいよザキ。土方さんに愛されてるところが妬ける。
あの人は、良く怪我をする。
決して弱いわけではない。真選組の中でも、多分沖田隊長の次には強いお人だ。
けれどいつも斬り合いの度、何処かしら怪我を負う。
あの人は多分、真っ直ぐなのだろう。
例えば沖田隊長は、強いし、その自信なのか若さ故なのか、はたまたあの性格が全ての原因なのか、刀を抜けばそりゃあ獣のように全ての獲物を狩りとっていく。けれど決して、全ての理性を放棄はしない。“自分の命を護る”という、たった一つの最低限の理性を――いや、これはやはり獣の本能なのだろうか? とにかく、自らに及ぶ危険を最低限回避している。
けれどあの人は、そうじゃない。
ひとたび刀を抜けば、あの人はもう目的しか見えなくなる。その目的を達成するためなら、自分の命さえ厭わない。いや、“自分の命を護る”という生物として最低限の行動すら放棄する。
俺たちの勤める組織上、“任務達成のためには己の命を賭す”というのは当然だ。それはあの人だけではなく、局長だって沖田隊長だって俺だって、隊士全員が覚悟を決めている。
でもあの人のは、そういうのではなくて。“己の命を賭さなければ達成出来ないような任務”でそう在るのではない。どんな任務でも、どんな些細な斬り合いでも、あの人は刀を抜いた瞬間、全ての理性も本能も捨てて、ただの“修羅”になる。一切の守りを捨てて、ただ刀を振るい続けるだけの、“鬼”に。
だから、あの人は良く怪我をする。
とは言え別に、あの人は己の命を軽んじているわけではない。
あの人がこの宇宙中で一番真選組を愛し、局長を愛し、沖田隊長を愛し、俺たち隊士を愛している。あの人は、任務達成のためにも、江戸を護るためにも己の命を賭けちゃいない。真選組を護るためだけに命を張っている。そう簡単に己の命をくれてやろうなんて思っていない。
それでも、ひとたび刀を抜いてしまうと、途端に一気に周りが見えなくなる。危なっかしくて見ていられない、なんて、そんなことを俺が思っていることを知られたら、やっぱり切腹なのだろうか。
だから実は、そんなあの人を知る局長や沖田隊長や田舎の道場からの付き合いの隊長連中は、いつもさりげなくあの人をフォローしている。普段は常にあの人が上も下もフォローして、フォローの男なんて呼ばれもしているけれど、斬り合いの時だけは別。隊長連中は左右背後に回り、沖田隊長は前方に、局長は隣に。そう思うと、斬り込み隊と呼ばれる一番隊隊長に沖田隊長が据えられているのも、これは実力に+αな要因があったのかもしれない。
けれどあの人は困ったことに、割合単独行動もとる。万事屋の旦那とやり合った時然り、沖田隊長の姉上の件の時然り。この場合の負傷率はやはり高い。
あの人が怪我を負うたび、あの人の大切な局長がいつも悔しそうな顔をしていること、あの人は気付いていないのだろうか。沖田隊長が荒れて、結局それが自分への過度な悪戯として返って来ていること、分かっていないのだろうか。
そもそもあの人は、存外不真面目だ。
いつも沖田隊長や俺に、サボるな真面目に働け切腹しろ、なんて怒鳴っているくせに、自分も結構適当にやっている。
市中見回りの時は乗り気じゃなければベンチに座って延々煙草をふかしてるし、幕臣の護衛だ天人の護衛だも、面倒臭ければ全部俺や隊長連中に押し付けて、自分は車の中でつまらなそうにしている。
そしてあの人は、意外と感動屋だ。
人情もののドラマや道徳的な子供向けアニメを見ては、恥ずかしげもなく鼻をすする。しかも割と泣くポイントが他人とずれている。一緒に観ていて同意を求められる時が一番困る。
そのくせ、自分のこととなると涙なんて一切見せない。いや、決して泣かない。
信じていた隊士を内通者として処分しなければならなかった時、大怪我を負った時、その治療の時。故郷の兄上を亡くした時。
あの人はただ、いつも通りの目で口を真一文字に閉ざし、何も語らない。その目が揺れることも表情が陰ることもない。
けれど・・・愛した女性を亡くした時。沖田隊長の姉上を亡くした時。その時だけは、一人病院の屋上で、泣いていた。
沖田隊長の最期の別れが済み、ではみんなもお別れを、となって。その段になってもあの人は居なくて。局長に探して来いと言われ、最後に辿り着いた屋上で。
あの人は一人、泣いていた。
――とん、とん、と。極々小さなアスファルトを叩く音にはっと見やると、万事屋の旦那が壁の後ろから顔半分出して、口元に指を立てて、しーっと言っていた。それを見て、俺は、そのまま踵を返して局長の元に戻った。
万事屋の旦那と、俺たちは違う。旦那にはあの人のあの姿を、見ることも見ないことも、見るけれど見なかったふりをすることも、自由だけれど。俺たちは“見ない”ことしか出来ない。
局長の元へ戻って、俺はただ首を横に振った。局長はそれだけで分かってくれたようだった。沖田隊長も、何も、言わなかった。
バラガキだ、と。いつだったか局長から聞いたことがある。“近づき触れれば棘が刺さるような悪ガキ”が本来の意だが、あいつは昔も今も、ただ茨の中を踏み進んでいるだけなのだろうよ、と。
それで何となく、あの人がいつも怪我を負う理由を納得出来たのかもしれない。
あの人が負う怪我は、全てあの人が行く道に塞がる茨の刺傷。歩く道が茨道なら、一歩足を踏み出すたびに必ず何処かに傷を負うだろう。だからあの人は己の傷に頓着しない。ただ前に進もうとしているだけなのだろう、と。
冷静に考えればそんな馬鹿な考えもない。これが本当にただその辺に咲く茨の棘ならまだしも、塞がる茨は鉄の刃で、負う傷はいつかあの人の心臓に到達するかもしれない。
それでもそれが、あの人の行く道だというのだから。そしてあの人は、例えいつかその棘が己の命を刺し貫こうとも、自分が来た道の棘は全て斬り落としていくのだから。
じゃあ俺も行きますよ、と。剪定された後の茨には、きっと綺麗な薔薇が咲く。あの人の血を吸った、綺麗で真っ赤な薔薇が咲く。俺はそれを摘んでいって、最期にあの人の棺をその薔薇で一杯にしてやります、と。
そう言うと、局長はそうかと言って、笑ってくれた。
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