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BR二次。桐山。
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彼の歩みは淀みない。
まず向かったのは体育館だった。そこでは、バレー部が男女半々で面積を使用していて、男子の方は練習試合を、女子の方は基礎練習をしていた。
両部新入生の見学も積極的に受け入れているようで、各々のコートの外には、入学式後に割り当てられたクラスで見た顔を何人か見かけた。
彼は体育館の入り口からぐるっと中の様子を眺め、そうしてすぐに踵を返した。
次に彼が向かったのは校庭だった。そこでは陸上部と野球部、サッカー部がうまいこと場所を分けながら、それぞれの練習に励んでいた。新入生の見学があるのも、その中に見た顔があるのも先ほどと変わらない。
彼も変わらずさっと周囲に目を巡らせ、そしてまたすぐに元来た道を戻る。
どうやら、体育館にも校庭にも、彼の興味をそそるものはないらしかった。
その後も彼はテニスコートを回り、バスケットコートを回り、校舎の周りを走りこんでいるハンド部を眺め、校舎に併設されている剣道場・柔道場を覗き、けれどいずれも一瞬足を止めただけで、そのまま通り過ぎた。
校舎の中に戻った彼は、まず図書室に足を向けた。狭くもなく広くもなく、そして大した蔵書もなかった。棚の間をすり抜けどの背表紙を見ても、いずれも彼が読んだことのある本か、もしくは読むに値しない本ばかりだった。
図書室を出て、突き当りの廊下にある和室へ向かう。そこは茶道部の部室となっていた。
静かに覗き込んだつもりが、偶然に顧問の教師だという中年の女性と目が合った。彼女はすぐに微笑みを湛え彼を手招きし、彼は呼ばれるまま彼女の正面に座った。
彼には茶道の嗜みもあったから、彼女に点てられた茶を作法通りに戴き、そうして彼女にも茶を点てた。
彼女はその流れるような所作、完璧な作法、美しい佇まい、非の打ち所のない茶の味を褒め立てて、彼にしつこく茶の経験はいつからなのか、是非茶道部に入部しないかと熱心に誘ったが、彼は口を開くことなく首を振り、そのまま席を立って廊下へ消えた。
それでも彼女が執拗に追ってくる気配を察して、彼はすぐに校舎を変えた。変えた校舎の最上階には音楽室があった。
音楽室には吹奏楽部が陣取っていた。やはりここも新入生の見学者を意識してか、簡単な曲を披露している最中だった。
彼は少しばかりピアノを弾いてみたいと思った。それをそのまま顧問と思われる男性教師に伝えると、彼は新入生の飛び入りも大歓迎だと破願して、すぐに彼をピアノの前に座らせてくれた。
彼はなんとなしに思い浮かんだ曲を弾いた。ショパンの幻想即興曲だった。
弾き終わると同時、音楽室に割れんばかりの拍手が鳴り響いた。先ほどの男性教師は、涙を流しながら感動を彼に伝え、先ほどの茶道部の顧問教師と同様にいつから誰について習っているのか、将来はその道に進むのか、もし日々のレッスンの邪魔にならないようなら、是非我が部に入って欲しいと熱心に言い募った。
けれど彼は首を振った、今度は言葉も発した、興味がないのだ、と。
そんな馬鹿なと、教師は怒りすら交えながら彼に追いすがった。興味がない人間がこれほどの演奏をできるわけがない、いや、例え今は興味がなくとも、君にはこれほどの才能があるのだ、この道に進まずして何に成るというのだ。
彼は答えた。父の会社を継ぐのだ、その為の自分だ。
そうして後は、もう何を言われても答えず振り返らず、彼は音楽室を後にした。
最後に辿り着いたのは美術室だった。辿り着いた時には、もう陽も落ちかけていた。それと言うのも、歩いているうちに吹奏楽部の教師に追い付かれ、そうこうしている間に茶道部の教師にまで発見され、2人に詰め寄られていたからだった。
その彼を解放したのは、この学校の校長だった。校長は彼を何者だか知っていたから、2人の教師に囲まれ何か言われている彼を発見するやいなや間に割って入り、2人の教師の言い分も聞かず早々に2人を追い払った。そうして2人が去った後、禿げた頭から流れる汗を拭き拭き彼に詫びた。彼の父親は今や一介の企業の社長ではなく、土地の名士としてこの市、ひいてはこの県にまである程度影響力を持っている人物だと、校長は知っていたのだ。
とにかく、そうして辿り着いた美術室には、もう誰も居なかった。しかし、絵の具や絵筆、画用紙や画板は出しっぱなしになっていたので、彼は誰に断ることなくそれらを手にした。
ベランダに出て、ただ目に映るものを描く。律儀に下書きをし、それから絵の具で色を付けていく。
途中、雑音が耳に届いて集中力が切れたので物音のほうに行ってみると、何人かの人間が1人の男子生徒を痛め付けている最中だった。彼はその場面に何ら心を動かすことはなかったけれど、物音が耳障りだったのでそれをそのまま伝えたら、何人かがまとめて彼に殴りかかってきた。彼は体術も習得していたから、自分の身を守るためにそれを駆使した。思った以上に呆気なかった。
何の気なしに痛め付けられていた方の人間を見やると、どうやらその男子生徒は指を折られていたようだったので、それを伝えた。その人間は大人しく自分の話を聞いていたから、もうこれ以上騒がしいこともないだろうと、彼は再び美術室に戻った。
それからまた絵の続きに色を付けていたら、不意に背後に人の気配を感じた。
「・・・うん、素晴らしいね」
背後の人物は丸い眼鏡に手をかけ、肩越しに彼の描く絵を眺め、感嘆したように息を漏らした。
彼はちらりと背中の人物に視線を向ける。その人は、今日からこのクラスの担任だと、何時間か前に教壇に立っていた男性教師だった。
それだけ認識すると、彼は再び画用紙に目を戻し、その教師もそれ以上彼を邪魔する気はないようで、静かに彼の隣りで彼と同じ景色を目に映していた。
やがて絵は出来上がり、彼はそれに一瞥をくれる。そしてそのままその絵を画板から外し、使った絵筆や絵の具を元あった場所へと戻し、水彩用バケツをゆすいでそのまま水道の縁に干しかけ、そして美術室から退室する手前にあったごみ箱にその絵をそのまま捨てた。
一連の動作を先ほどと変わらぬ場所でゆっくりと目で追っていた教師は、彼が絵を捨てたところで歩き出し、おもむろに口を開いた。
「君は何を見ていた?」
彼は既に廊下に半歩足を踏み出していたところだったが、教師の言葉に立ち止まり振り返った。答える。
「この教室から見た街」
うんうんと教師は頷きながら歩み寄り、彼が捨てた絵を再度ごみ箱から拾い上げ、それを眺めて再度同じ質問を繰り返した。と彼は思った。本当は、その質問は若干ニュアンスが違っていた。
「君に見えていたものは何だった?」
彼は答える。変わらない答えを。「この教室から見た街」
教師は笑って首を振り、その絵をまたごみ箱に戻した。そのままごみ袋を引っ張り出し、口を縛って片手に持った。彼の肩を軽く押して美術室から完全にその身を押し出し、自らも出て美術室のドアを引いて閉め、鍵をかけた。
「君には、何かが足りないんだね」
2人向かう方向は一緒だったから、自然共に歩くことになる。数歩先を歩く教師は、そんなことを口にした。彼はつと、こめかみに疼きを感じてそこを押さえた。前を歩く教師は気付かない。
それっきり、2人に会話はなかった。途中で教師は職員室へと方向を変えたし、彼はそのまま昇降口へ向かったからだ。
「さようなら、桐山。遅いから、気を付けて帰れよ」
職員室へと足先を変える時、教師はそう彼の名を呼び声をかけたが、彼は何も言わずその場を後にした。
君には、何かが足りないんだね。
その言葉を思い出したとき、既に桐山の終わりは近かった。冷静に分析する。顔面から斜めに入った銃弾は、今は脳で留まり、細胞という細胞を破壊し始めている。
これが走馬灯現象か、と桐山は思った。
何かが足りない。それは桐山自身も気付いていたことだった。けれど、それが何であるかまでは、父も、充も、月岡も笹川も黒長も、そしてあの教師――林田も、教えてはくれなかった。
足りなくても自分は今まで生きてこられたし、多分“これ”がなければこの先も生きていっただろうし、“これ”での今の死も、あくまで運の問題で、足りないこととは何も関係がないように思えた。
けれど、何故だろう。桐山は、急激に痛み始めたいつものこめかみのその場所を、いつもの如く触れようと思ったが、もう身体は動かなかった。
目の前が霞む。霞んだ先には赤い夕焼け。あの日あの美術室で見下ろした街を覆っていたそれと同じもの。描いてみたい、そう思った。
今自分が見ているものを。同じ夕焼け。けれど今は季節も場所も天候も湿度もあの日と違う。だから同じ夕焼けではない。けれどそれだけではなくて、何か違うものが、今なら描けそうな気がした。
君に見えていたものは何だった?
分からない。俺には何も分からなかった。でも今、描いてみたいんだ。
そう思うとほぼ同時、桐山の生命活動は終わりを告げた。
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「切な系100のお題」024.スケッチ
充ちゃん友情出演。
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