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* それはとても、晴れた日で *

かきたいときに、そのときかきたいことを無節操に。

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【銀魂二次】それは誰が見た、(その2)【土ミツ】
銀魂/土ミツ/長編/エロ有(超ヌルイ)
(その1)の続き。








           ***



 案の定、武州は深い根雪に覆われていた。
 まだこの地を離れて二年と経たないのにすっかり便利な江戸に毒されたのか、思った以上に土方の歩みは遅かった。
 田舎の農村になんて駕籠もないし人力も居ないし、当然だがタクシーもない。バスは一応あるにはあるが特に冬の時期は最低限すら走らない。その最低限のバスも次の時間が半刻後とあっては、もう歩いた方が早いだろうと足を踏み出してはみたものの、予想以上に根深い雪がその歩みの邪魔をする。
 時々、過去関わりのあった者や昔の門下生の家の前を通る。もういっそのこと門を叩いて車を貸してくれと言いそうになるが、真選組の副長がミツバを訪ねるなんて早速バレるような行動が出来るはずもなく、仕方なしに土方は深い雪道を歩き続けた。
 ここから江戸へ出た時はまだ秋だった。勿論汽車なんて乗れるはずもなかったから、山を越えて江戸まで歩いた。途中で北風が厳しくなり、江戸に着く頃にはちらちら雪が舞い始めていた。それを思えば、例え冬でも半刻ほど歩けばいいだけなら。
 被っていた笠をついと上に上げ、長く長く、どこまでも続く真白い道の先を土方は見つめた。立ち止まり、鼻先まで巻き付けていた襟巻を首元までずらす。露わになった口に煙草をくわえ、火を付けて。吐き出した煙は、風に乗って舞う粉雪に紛れて、消えた。



 沖田家の門まで辿り着いて一番ほっとしたのは、心配していた屋根の雪下ろしも道までの雪かきも、綺麗に行われていたことだった。
 結局半刻以上歩き続けたせいで上がった息をふぅと整えて、土方は懐かしいその場所に足を踏み入れる。
 今は当然閉め切られている縁側が、暖かい時期は開いていて、土方が訊ねるとすぐに気付いて奥から駆けて来て、いらっしゃいと笑ってくれた彼女。
 いらっしゃいと言われても家にあがることはなく、ただいじけて稽古をサボる総悟を引き摺って行くだけだったが、ある時からお茶でも飲んで行かれませんかと、彼女の方から誘ってくれるようになった。勿論それは総悟の大暴れによって実現はしなかったし、土方自身も受けるつもりはなかったのだけれど。
 いつも暴れる総悟を宥めながら、少しだけ寂しそうにしていた彼女の顔を覚えている。
 夏にみなで祭に行った時、総悟に手を引かれながら現れた彼女は、普段の質素な着物とは違う、華やかな浴衣を身に纏っていた。浴衣に合わせたのだろう、眦と唇にほんのり紅を差したその出で立ちは大層艶っぽく、打ち上げ花火に照らし出されるその姿を、土方はこっそりとずっと見つめ続けていた。
 総悟が近藤にとても懐いていて、近藤も総悟をとても可愛がっていたから、少しずつ沖田家との接点が増えて行って。
 収穫の季節に道場にたくさん届けられたお裾分けを、総悟のところにも持って行ってやろうと言い出したのは近藤なのに、何故か届けるのは土方の役目になって。背負い籠いっぱいの野菜は重く、その時初めて土方は沖田家にあがった。
 総悟はぎゃあぎゃあ喚いたが、じゃあお前が持てと籠を背負わせたら当然立ち上がることも出来ず、そしてそれほど重いものを姉に運ばせるわけにはいかないと同時に理解したらしく、土方がミツバに案内されて台所まであがり込むのを、後ろからずっと憎々しげに睨み続けていた。
 結局何だかんだと収納まで手伝って、お茶をと勧められたが断ったら、珍しく総悟が飲んで行かないと殺すと言うから、三人で縁側に並んで茶を飲んだ。
 その時に、試しに作ってみたんですけど、と手作りのマヨネーズを差し出され、正直に美味いと答えたらいきなり総悟がマヨネーズを顔に投げ付けて来たから、結局最後は喧嘩になった。
 夕焼け色に染まった彼女はいつものように困った顔をしていたけれど、その口元が綻んでいたことを、土方は知っていた。
 冬になる頃にはすっかり近藤と共に沖田家へ顔を出すことが多くなっていて、良く夕餉の鍋にも呼ばれた。毎回具材を獲り合う総悟と土方を見て、飽きもせず楽しそうにころころと笑っていた彼女。
 そのまま酒を頂いて、酔っ払った近藤が炬燵に丸くなってしまい。総悟が、近藤さんは泊まっていいけどお前は帰れ、と炬燵の中から足を蹴っ飛ばして来て。言われなくても、と近藤を抱えて辞する土方に、部屋も布団も余ってるし構わないんですよ、と彼女はほんのり頬を染めていた。
 意外に酒は飲める彼女のその頬の赤みの意味を、分かりながら土方は、見ない振りをして背を向けた。
 さくさくと薄く積もる雪を踏み付けながら玄関に向かう間に、土方の脳裏に様々な思い出が過ぎる。
 その全ての彼女を、過去の己は全て邪険に扱って来たけれど。その全てに惚れていたのだ、本当は。



 「――――ミツバ」



 玄関先まで辿り着き、戸を叩いて中に呼びかける。今や若い女の一人暮らし、時間ももう夕暮れ時だ。己が誰かということをはっきりさせねばならぬと、土方は多分初めて、本人に向けてその名を呼びかけた。



 「ミツバ。居るか、土方だが」



 ぱたぱたと遠くから足音が聞こえる。彼女がやって来る音が聞こえる。意外にも冷静にそれを待ち受ける自分に、土方は僅か驚いて、そしてそっと微笑った。ついに俺も腹ァ括ったか、と。
 がらり。玄関が開かれて。奥から走って来たのだろう、頬を染めて息を若干乱したミツバが、その顔を出した。



 「十四郎さん、」



 土方の名を呼んで、幸せそうにミツバが微笑った。



           ***



 玄関先で、名を呼び合って、二人。何となしに互い二の句が継げずに、ぼんやりと立ち尽くす、二人。
 暫くこのままかと思いきや、びゅうと強い風が吹いて雪が家の中に吹き込んだから、土方から口を開いた。
 「…邪魔していいか」
 「あ、ごめんなさい、どうぞ」
 照れ臭そうにミツバが俯いて、身体をずらす。土方が上がり口で衣服に付いた雪を払っている間にミツバは玄関の施錠をし、拭くもの持って来ますね、と再び家の奥に姿を消した。
 ぼんやりとその帰りを待つ間、土方は頭の中で先ほどの笑顔を何度も何度も反駁する。
 美しかったと。純粋に、土方はそう思った。
 例えば、夜勤明けに見た朝焼け。祭の警備をしながら見た打ち上げ花火。屯所の縁側から見上げた満月。冬晴れの高く澄んだ空。
 武州に居た頃、共に見上げた桜。夏の稽古後に汗を流した沢。実りの季節に田畑を覆った黄金の稲穂。染め上げていた夕焼け。降り積もった雪を輝かせていた月明かり。
 華やかな浴衣を纏い、紅を差した彼女。
 己の傍に居たいと、必死になって伝えてくれた彼女の眼差し。
 土方の中にある、今までで美しいと思った光景を全部並べても、先ほどのミツバの笑顔の美しさには届かなかった。
 「…っ」
 顔に熱が昇ってくるのが分かる。全身の体温が上がってくるのが分かる。あれ、これってもしかして…
 「――十四郎さん?! やだ、顔真っ赤ですよ? 大変、すぐあがって、火にあたってください!」
 悪いタイミングでミツバが戻って来て、濡れた衣服を拭くのもそこそこに家にあげられ、あれよあれよという間に土方は居間の炬燵に押し込められ、横に火鉢まで置かれてしまった。
 すぐに着替えとお布団用意しますから、とまたも立ち上がろうとするミツバを、土方は恥を忍んで押し止める。
 「いや、違う別にこれは…多分、あれだあの、急に暖かいところに入ったから、急に身体があったまって、だから、」
 そこでちらりとミツバを見上げると、今度はミツバの顔が真っ赤になっていた。
 え、と思ったのも束の間、はっと気付けば土方の右手がミツバの左手を握り締めており、土方は慌ててその手を離す。
 顔を逸らし、すまない、と小さく謝ると、ミツバはほっとしたように、けれども少し寂しそうに俯いて、じゃあお茶を淹れて来ます、と今度こそ立ち上がって行ってしまった。
 何だかなぁと。ミツバが部屋から消えてから、土方は炬燵の天板に顎を乗せてふぅっと溜め息を漏らす。何だか中学生みたいじゃねェか、これって中二みたいじゃねェか。がっくりと土方の両肩が落ちた。



 さして間を置かずに二つ湯呑みを持って戻って来たミツバは、一つをどうぞと土方に差し出して、土方の真向かいに腰を下ろした。
 悪いな、と土方は一つ礼を言い、とりあえず落ち着こうと湯呑みを持ち上げ、中身を一口啜る。
 「――――!!!!」
 味なんて分からないその刺激物を、喉元を通る前にぶーーーーーーーっと吹き出せたのは真選組副長としての訓練の賜物かもしれない。いや毒物劇物の耐性訓練なんてしたことはないけれど。
 思い出とか感傷とか何やかやで忘れていたことを土方は思い出した。沖田ミツバという女は、とてもとても良く出来た美しい女なのに、味覚だけが壊滅的におかしかったのだということを。
 「あら? お口に合いませんでした?」
 涼しい顔で土方と同じモノを飲む女に、土方は今更ながら戦慄を覚えた。
 土方が茶?を吹き出して濡れた炬燵の上を手際良く拭きながら、ミツバはそんな土方の様子に気付くこともなく、淡々と喋り続ける。
 「寒い時には辛い物って言うでしょう? 十四郎さん、随分長いこと外にいらしたみたいですし…。わたしも寒い時にはこれ良く飲むんです。唐辛子茶タバスコ入り」
 (唐辛子茶?! タバスコ入り?!)
 土方は頭の中の記憶の引き出しを大急ぎで引っ繰り返す。この際タバスコは捨て置く。茶にそんなものを合わせるのはこの世でただ一人、この女だけだ。
 問題は唐辛子茶の方だ。如何にもな名をしているが、そんな茶の名は聞いたことがない…とも言い切れない。どこかで聞き覚えのある名だった。
 「…あ、あー…」
 やっと土方の脳内データベースにヒットして、ミツバをちらりと見やると、当の本人はきょとんとして土方を見返して来た。
 「唐辛子茶って…あれですよね、梅こぶ茶に唐辛子を“少々”混ぜてる…」
 「あ、いえ、わたしのは茶葉の代わりに粉末にした唐辛子をそのまま使ってるんです」
 (それただの唐辛子汁タバスコMIXーーーーーーーーー!!!!)
 「…あ、すみません、ただの湯でいいです…なんなら水でもいいので一杯頂けませんか…」
 ぐでんと炬燵に倒れ伏した土方を見て、十四郎さんってこんなに面白い方でしたっけと、ふふふと笑いながらミツバが新しい湯呑みを取りに席を立った。
 僕ってこんなに面白い人間でしたっけ、とミツバの背を見送りながら土方も思う。実際今は真選組なんて馬鹿の集まりを実質仕切ってるようなもので、その中で色々あるけれど。
 ミツバの前でこんな醜態を晒した覚えもないし、まさか晒すことになるとも思っていなかった。
 今日僕は何をしにここまで来たんでしたっけ。そんなことを考えるほどには、土方の力は抜けていた。



 戻って来たミツバが新しい湯呑みと一緒に、土方の前に灰皿を置いた。それとお茶請けに、と小皿に盛ったマヨネースも。
 訝しげに視線を上げる土方に、さっき慌てて作ったんです、とまた不可解な言動をし、ミツバはにっこりと笑う。
 「…いや、何で俺が煙草吸うこと…」
 「あらだって、」
 ミツバは自分の脇に置いてあった紙束を手に取り、一枚を土方の方へ見せた。それは新聞の一面で、少し前の捕り物の話と、いつの間にか撮られていたらしい自分の写真が載っていた。煙草をくわえながら、多分山崎辺りを怒鳴り散らしているであろうところの。
 あぁそうかと。出かけに総悟が最後に言った言葉が思い出される。“あんたの方が先に死ぬかもしれねェなんてことも、あんたがもう散々っぱら人斬り殺してるってェことも、ぜェんぶ承知してまさァ”。
 土方が武州で暮らしていた頃は、近藤の道場に居た頃は、新聞なんて読んだこともなかった。精々買い出しついでに瓦版が配られていれば持って行くぐらいで、だからか、何故かミツバは真選組のことも、その仕事内容のことも知らないもんだと決め付けていた。
 だが良く良く考えればそちらの方がおかしいだろう。いくら田舎とは言え新聞くらいは流通していたはずだ。ミツバはこれで賢い女だ。総悟に手習いを教えたのも確か彼女だった。そんな女が新聞を読まないと思った方がおかしかったのだ。
 そういえば、と思い至る。最後に会った、武州を発った日には、土方はまだ長い髪を一つに結い上げていた。けれど今の短髪姿を見てもミツバは特に驚きもしておらず、至って自然であった、と。
 ふっと。もう色んなところから土方の力が抜けた。
 彼女は全て知っていた。己が汚れたことも、これからも汚れていくことも。いつ死ぬかも分からないことも。それでも、待っていてくれたのだったなら。
 「…で、慌てて作ったってのは?」
 ついつい煙草に手が伸びそうになって、土方はぐっと堪える。煙草が身体に悪いことなんて百も承知、それが己だけならいいが、周囲も害するとあっては、この肺を病む女の前で吸うことなんて出来ない。
 「そーちゃんから連絡が来たんです」
 そう言ってミツバが帯から小さな物体を取り出した。



 「…………携帯?」



 はい、今日十四郎さんがいらっしゃるって。ミツバは何でもないことのように言い、またにっこりとした。
 「こないだのお正月休みの時にそーちゃんがくれたんです。それで、色んな写真を送ってくれるんですよ」
 え? え? とまだ状況に着いていけない土方にまたも気付かずに、ミツバははしゃぎながら総悟からのメールを見せてくる。
 見るともなしにそのメールに添付されている画像を見て。



 「―――――そぉぉぉぉぉごぉぉぉぉぉ!!!!!」



 がたんと土方は立ち上がり。目を丸くしているミツバを置き去りに。
 足早に玄関に向かいながら、懐から取り出した己の携帯をぱかっと開いてアドレス帳を検索する。本当は“サド皇子”とでも登録しておきたい奴のアドレスだが、この問題児に連絡を取るべき場面が余りにも多く、“さ”より“お”の方が早く見付かるから、腹立たしいかなきちんと本名で登録していたことが今日は吉と出た。
 玄関から外に飛び出し、土方はすぐさまその憎たらしいクソガキの電話番号を選んで、発信ボタンを押す。
 『何でィ土方ァ。やっぱフラれたのかザマーミロ』
 繋がった瞬間の台詞がこれだから、もう既に浮き上がっている土方のこめかみの血管は切れる寸前だ。
 「うるせェてめェ!! どーいうことか説明しやがれ!! 三秒以内に出来なかったら戻ったら切腹だゴラァ!!!!」
 『はァ? 何の話でさァ。てめェこそ一秒以内に説明しやがれ出来なかったらそのまま雪に埋もれて死ね』
 「何の話じゃねーよボケてめェが死ね!! ミツバ携帯持ってんじゃん、何なのあれどーいうことなの?!」
 『あァ? えぇ持ってますよ持たせてますよ、だって俺ァどっかのクソと違って姉ちゃんと毎日連絡取りてーですもん』
 「持ってるなら持ってるって最初に言えってんだよこのクソガキ!! だったら俺ァわざわざこっちまで来なくったって――――」
 『――――電話で済ませるつもりだったとでも?』
 しん、と。そこで土方の言葉が途切れた。
 そうだ。自分は何を言っているのだろう。土方は、はぁっと溜め息を吐いて門の方へと歩を進めながら、懐から煙草を取り出して一本くわえた。
 『オイ土方もっぺん言ってみろ。てめェ、迎えに行くだなんだほざいといて、携帯持ってりゃ電話で済まそうとしてたってことかィ』
 「いや違ェよ。……悪かった」
 門の横に立つ銀杏の木に土方は背を預け、ふーっと煙を吐き出す。煙の昇る先を見つめる。頭上には瞬き始めた星空。冷えた空気が頭の熱を下げる。ちょっと笑った。
 「俺だってメールとかしたかっただろ」
 『何言ってやがんでィ。これからいくらでもしたらいいだろうが』
 ていうかあんたメール嫌いでしょうが、と先ほどの底冷えするような声音がまるで嘘だったかのように、総悟の温度はいつもの小生意気で怠そうなそれに戻っていた。
 「つーかてめェ、あのミツバに送り付けてる写真なんなんだよ。何で俺がマヨクッション抱えて寝てるとことか送ってんだよ。てかありゃいつ撮ったんだよコラ」
 『あんたをいつまでも待たせてる男はこんなに仕事でいっぱいいっぱいだから、もうちょっと待っててやってくだせェっていう、弟と部下の優しさでしょうが』
 ああそーかよでも次涎垂らしてんのなんか送ったら殺すからな、と吐き捨てて、土方は返事を待たずに通話を切った。そのままずるずるとしゃがみ込む。
 彼女の前では吸えない煙を、この一本分だけ。
 電話があるなら、彼女の気持ちを確かめてから何に怯えることなく迎えに来たかったなんて、そんなヘタレた自分も、後この一本分だけ。
 あーあと一息、土方は空いた片手で己の頭をぐしゃぐしゃと掻き回した。



           ***



 「…そーちゃん?」
 出て行った時の勢いはどこへやら。ゆっくりと部屋に戻って来た土方を、ミツバは台所に立つ背中越しに振り返った。二人とも相変わらずねぇなんて笑いながら。
 あぁ、とだけ呟いて土方はまた炬燵の中に潜り込む。飛び出した時そのままに、炬燵の上には灰皿とマヨネーズ。
 土方は灰皿を部屋の隅に押しやり、ぷるんと揺れるマヨネーズを口に入れた。
 「…美味い」
 土方がぽつりと零したその言葉をミツバは敏感に聞き取って、ぱっと笑って振り返り、嬉しそうに駆け寄って来た。
 「良かった、久し振りだったからどうかしらと思ってたんです。お夕飯もうすぐですから、それまでこれどうぞ」
 ボール一杯に溢れ返るマヨネーズをにこにこしながら渡して来る女が、土方は何だかもう無性に愛おしくなって、
 「ミツバ、」
 腕を引いて、ぎゅっと、己の腕の中に閉じ込めた。



 ぱちぱちと火鉢の中で炭が爆ぜる音。居間の向こうの台所から漂う味噌汁の香り。未だ舌先に残る優しいマヨネーズの味。腕に抱き寄せた身体の予想以上の細さ。視界に映る、彼女の熟れた耳たぶの色。
 土方の身体はどくどくと脈が速まっているのに、心はしんと静かだった。己の心はそんな綺麗じゃないと思いつつも、波風一つない透明な湖が胸の内に広がっている。その中心に、ぽたん、と小さな小さな一滴が落ちた。小さな小さな一滴から生まれた小さな小さな波紋がゆっくりと滑るように湖面を揺らしていく。
 その小さな一滴が、ミツバだった。
 ごほん、と。腕の中の小さな身体が震えた。ごほごほと肩を揺らして身を捩ったので、土方はそっとその身体を解放した。
 「…大丈夫か」
 「ごめんな、さい…、吃驚した、ものだから」
 顔を俯けて咽る彼女が落ち着くのを、静かに土方は待ち続ける。真下に見えるつむじから流れる麦色の揺れる髪に、細い首の向こうで上下する背に、畳に突いた袖から覗く白い手に、触れようとも思わずにただ、土方は見つめ続ける。
 沖田ミツバという、自分に落ちた小さな夢を。
 「…迎えに来た」
 ミツバの息が整ったところで、土方は口を開いた。俯いたままのミツバの肩がぴくりと動く。
 「だが知っての通り、今の俺は真選組なんていう人斬り集団の副長だ」
 「…はい」
 「組にも、俺個人にも恨みを持っている人間なんざ山と居る。着いて来ればお前も少なからず危ない目に遭うだろう」
 「…はい」
 「それに俺が命張るのは近藤さんだけだ。お前のためにはやれねェ」
 「…はい」
 「それでもいいか」
 すっと。土方の、胡坐をかいた膝の上に握られていた拳に、冷たい手が触れた。目の前の頭が揺れる。ゆっくりと、ミツバの面が上がる。
 土方の目の前に現れたのは、己を真っ直ぐに見つめた、ミツバの初めて見る笑顔だった。



 「はい」



 土方がミツバの涙を見たのは、これが最初で最後だった。






 その後、二人は何事もなかったように夕餉を共にした。
 夕餉の後に少しだけ晩酌を楽しみ、勧められるまま先に土方が湯を使い、そして湯から上がればその間に用意されていた客間に案内され、土方はその整えられた床の上によっこらと腰を下ろした。
 気付けば居間の隅に寄せておいたはずの灰皿が枕元に置いてあり、その気遣いをありがたく頂戴して土方は煙草をくわえる。窓を開けて煙を外に逃がしながら、冬の高い夜空に昇る月を、ぼんやりと眺め上げた。
 ふと思い出し、懐を探って携帯を取り出す。着信を示すランプが点滅していた。
 とは言えそれが急ぎの件ではないことを土方は知っている。全てメールだ。
 いつ何時事件が発生して自分に連絡が飛んで来るか分からない土方の携帯は、マナーモードなど使われることはない。電話の着信なら当然音が鳴る。しかしメールの場合は音が鳴らず、バイブだけで知らせるように設定してあった。
 屯所を出て来てから今まで、土方の携帯は音を鳴らしていない。夕餉を食している時、酒を飲んでいる時、時折懐の中で震えただけだ。
 ぱかりと開いて届いているメールを見る。計三通。まあ当然の如く、差出人は近藤と山崎、そして珍しく総悟からだった。
 近藤からは心配している旨を綴った内容。山崎からは、相変わらずこんなことばかりは仕事が早く、見繕った何件かの物件の簡単な情報と、部屋に詳細な資料を置いておいたから戻ったら検めて欲しいという内容。そして滅多ない総悟からのメールは、本文もなくただ写真だけが添付されていて、そこには書類に埋もれて半泣きの山崎が写っていた。予定になかった土方の突発的な外出に、溜まっている書類の処理を山崎が押し付けられたのだろう。
 逆に仕事増やしやがって。思うこととは裏腹に、土方の口元は少し緩んだ。
 メールに返信することもなく、そのまま何本か煙草を吸い、気配だけでミツバが寝室に引き取ったのを確認してから、土方も床に就いた。



 珍しくしっかり睡眠を取れた朝は目覚めも気持ちいい。そうは言えども普段の疲れが出たのか、土方は冬の遅い朝がすっかり明けきる頃になってやっと目を覚ました。
 身支度を整えて居間に向かうと、ミツバは朝餉を卓に並べ終えたところで、ちょうどよかったと微笑んだ。開かれた雨戸から差し入る朝の光に浮かぶその微笑みを、また一つ美しいものとして、土方は己の記憶に刻む。
 おはようございます、というミツバの挨拶に、土方はあぁ、とだけ返し用意された膳の前につく。一汁三菜。昨晩の夕餉もそうだったが、本当にこの女は良く出来た女だと思う。…味覚以外は。
 昨夜は、やはりあんな話の後で知らず緊張していたのか、その献立の内容も味も余り気にしてはいなかったが、一晩経って落ち着いたのか、土方はここへ訪れた時に出された茶という名の刺激物を思い出す。
 しかしそんな心配は杞憂で、出された茶も今度は普通に緑色をしていたし、並べられた料理全ては至って普通の、というより世辞ではなく美味いと土方が漏らすほどのものだった。個別に昨晩同様山盛りのマヨネーズを出されていたが、いつもの食事のようにそれを合わせるということを忘れており、それに気付いた土方はミツバに気付かれないようにそっと微笑う。
 結局食後の茶請けにして出されたマヨネーズも全て胃に収めたところで、土方は腰を上げた。
 「もう行かれますか」
 土方が何かを言う前にミツバはそう言って、ではこれ皆さんにお土産に、と包みを土方に渡して来る。音から察するに、中身は毎月屯所に送り付けてくる激辛煎餅だろうと予想がついてしまって若干土方の顔が引き攣るが、ミツバは全く気付かない。良い女だとは思うのだ。…味覚以外は。
 しかし、それとこれは十四郎さんに、と手渡されたのは彼女の自作マヨネーズだったので、味覚はどうあれ良い女は良い女だと土方は思い直したのだった。
 玄関の上がり口で深靴を履き、手渡された上着を羽織って笠を被る。そうして土方は振り返り、懐から小さく畳んだ紙片と分厚い札入れを取り出して、ミツバに手渡した。首を傾げるミツバに、けれど土方はすぐに背を向けて、玄関の引き戸に手をかける。
 「…こちらの準備が整ったらまた連絡する」
 「はい」
 「が、ウチの部下はこんな時だけ張り切ってやがってな。案外早く済みそうだから、そのつもりでいろ」
 「はい」
 「かかる費用はそれで賄え」
 それ、のところで土方は首だけを動かし、視線でミツバの手に乗せた札入れを示した。目を丸くするミツバからまた視線を逸らし、続ける。
 「足りなかったら連絡しろ」
 「……」
 「そっちは俺の連絡先だ」
 ちらりと一瞬だけ目線を、今度は小さな紙片の方へ飛ばし、そして土方は引き戸を開けた。
 耳まで熱を持った肌に、雪晴れの朝の冷え切った空気はとても心地が良かった。


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