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先に、とっくに引退していたわたしに。
サイトさえとっくに消していたわたしに。
Blogすらとっくに内向きにして、そもそもどこにもリンクすらしてなかったのに。
ブクマしてくれてて、かつ、忘れないでいてくれて。
灰すら残っていない場所から、わざわざ、声をかけてくれた。
その喜びと感謝を、その最大限を、あなたへ贈らせてください。
かつてわたしたちを結びつけてくれた作品を借りて。
サイトさえとっくに消していたわたしに。
Blogすらとっくに内向きにして、そもそもどこにもリンクすらしてなかったのに。
ブクマしてくれてて、かつ、忘れないでいてくれて。
灰すら残っていない場所から、わざわざ、声をかけてくれた。
その喜びと感謝を、その最大限を、あなたへ贈らせてください。
かつてわたしたちを結びつけてくれた作品を借りて。
……………………
もしも、今も君が生きていたのなら。
僕たちは、どんな日々を過ごしていたのだろうか。
最近、愛煙家への糾弾が厳しい。
社内の一番隅に設けられた喫煙スペース、昨日肩を寄せ合って「まったく過剰反応だ」と愚痴り合ってた同志が、今日は眉を下げて向こう側に居ることも、もう珍しくはなくなった。
今もここに意固地に残っているのはほとんどが自分より二回りも上の世代で、ついでに言えば、社内でも閑職に追いやられたと思われる冴えない親父ばかりだ。
そこに混じる自分はまだ三十歳を超えたばかり、現役バリバリ、多分、出世コースからもまだ外れてはいない、はずだ。
そう思うのは自惚れではなく、一応根拠と呼べる状況がある。昨日は上司が、一昨日は同僚が、一週間前にはこのスペースにたむろする同志であるはずの親父たちが、皆口を揃えて、「君もそろそろ考えたらどうだ」と言う。庶務課の女子社員たちも、いい加減本当はこのスペースを倉庫に変えたいのだけれど、と立ち話のついでのように自分へ釘を刺していく。
しかし、そう言われれば言われるほど、ここへ足を運ぶ頻度は増えていく。変にひねくれているのはガキの頃から変わらないらしい、と、ふっと煙と一緒に苦笑を漏らしてしまった。
毎日同じことばかり繰り返し愚痴り合っている親父たちが、その空気の変化に食いつかないわけもなく。皆一様にこちらを振り返り、同じような台詞を矢継ぎ早に飛ばしてくる。
曰く、「どうした、男のくせにマリッジブルーか」「確かになぁ、独身時代の気楽さを思うと、なぁ」「夫婦は最初が肝心だぞ、一旦尻に敷かれたら一生そのままだ」「いやいや、あの子なら大丈夫じゃないか」「馬鹿言え、俺の嫁さんだって結婚するまではあんな風だったんだ」「お前こそ馬鹿言え、お前のずぼらな嫁さんと彼女を一緒にするな」「そういうお前の嫁さんこそ」……云々。
暇な中年世代は、男も女も関係なく井戸端話が好きらしい、とまた一つ新たな発見をしたところで、適当に同志たちの輪から抜け出した。
来週末、結婚をする。
お相手は同じ社内、自分は研究開発部、彼女は企画生産部、同期入社な上、仕事上での絡みも多かった。
同期飲み会などを経て、ごく一般的にそういう関係に発展し、山あり谷ありの大恋愛だったわけでも全く喧嘩をしないわけでもない普通の恋愛関係が続き、お互いが三十歳を迎えたのを機に、じゃあそろそろ、と相成ったわけだ。
案外こんなものなのね、と、入籍を前に半年ほど前から一緒に暮らし始めた彼女が、引っ越し初日の夜、それなりに片付いた部屋を見渡してから言った。結婚って、もっとロマンチックに、溢れんばかりの熱情の果てにあるものだと思ってたわ、と。
それに自分が返した言葉はこうだ、どうやらそういう人のほうが珍しいから目立って人の印象に残るだけで、案外こういうのが一般的らしい、と。
煙草部屋のおじさまたち曰く?と彼女は少し眉を寄せ、あの人たちの話聞いてると人生に希望が持てなくなっていやよ、と身体をそっと寄せてきた。
彼女もかつてはあのスペースの同好の士だった。
大恋愛をしたことがあるか。
同棲最初の夜の子守唄はそんな話題だった。
共に旅行を何度もしたことがあったし、お互いそれまで一人暮らしだったから週末に行き来もあった。共に枕を並べて眠るのは決して初めてではなかったけれど、その夜はどうも寝付けなかった。
彼女が先ほど漏らした夢物語に絡めた話題だったが、結論から言うと、お互いの答えは「イエスともノーとも言えない」で一致した。
とにかく、自分も相手も若かった、と。
彼女は大学時代の恋愛経験をかいつまんで話してくれた。二年上のサークルの先輩、相手の就活時期に一度危機を迎え、内定と同時に持ち直したものの、結局相手が社会人になってすぐにダメになった、と。
今思えば犬も食わない喧嘩もしょっちゅうだった、と自分の腕の中で彼女は懐かしそうに笑った。バイト先の女子高生に鼻の下伸ばして、そういうお前こそ付き合いだ人数合わせだって言いながらコンパばっかりして。相手の内定が決まってからは、二人でお金を貯めて一緒に暮らしていつか結婚しよう、子供は二人がいい三人がいい、一番最初は男の子がいい女の子がいい、そんなことを真剣に。
でもあの時は、本当にそうなると思ってたの、彼女の懐かしんでいた笑みが、ほんの少し寂しそうに歪んだ。
自分もそんな感じだったよ、と、彼女の肩に回した腕に少し力を込めたことを覚えている。そして感傷の沈黙の末、彼女が静かに寝息を立て始めたのを見計らってそっと吐息と共に吐き出した。
――慶子、と。
慶子とは中学生の時から付き合っていた。その時間の長さだけが、彼女の話と違う部分であるのかもしれない。
中学校の同じクラス、高校は違えど途中までは通学路が同じだったから時間が合う時は一緒に通った。変わったのは大学から。自分は希望学府が東京で、慶子は地元だった。
長期休暇があれば必ず帰ってはいた。それとは別に、慶子は講義の合間を縫って時々上京してきた。田舎の大学だから、そっちとは違って余裕があるのよ、なんて言いながら。
ただ、自分は忙しかった。母親は幼い時に、父親は中学生の時に亡くしていたから実家からの仕送りなんてものはなく、一応大学には奨学金で通ってはいたものの、学費以外の生活費が東京ではばかにならないほどかかった。
勉強とアルバイトの比率も重要度も半々で、正直、そこに恋人という存在が入り込む余地がなかった。
そうやって慶子の存在がおざなりになっていくと、長期休暇も滅多に帰らなくなった。両親も近しい親戚も居ないのだから休暇の度に帰る理由もなく、また交通費もばかにならず、そもそも世間の長期休暇の時期は学生バイトが重宝され一番の稼ぎ時だった。
自分が帰れない代わりに慶子が来た時もあった。でも、バイトやその後の付き合い飲み会や試験勉強や……とにかく、慶子を構ってやれる時間が、あの時の自分には取れなかった。
それが関係の綻びの原因と知った今となっても、この先何度同じ選択肢を目の前に出されても、自分はあの時の自分と同じ選択をするだろう。――つまりは、そういうことなのだ。
疎遠になって何年かして、大学を卒業して希望の企業に就職を果たし、新卒入社としての研修も明け部署に配属されて、やっと落ち着いて両親の墓参りに帰省した折に、風の噂で慶子は卒業と同時に見合い結婚をしたと聞いた。聞けば父親の具合が数年良くないらしく、母親も看病疲れでとても家庭を一人任せさせ続けるわけにもいかず、心配した親戚筋が慶子が専業で家庭に入れ、かつ両親と同居を受け入れてくれる男を宛がったのだそうだ。
そんな都合のいい話はあり得ないと思い、聞いた時には詐欺かそれともその条件でしか結婚出来ないほどの経歴の汚れた相手かと憤りすら覚えたが、そんな自分の思いは杞憂でしかなく、逆にこんな好条件の相手にはこれを逃したら一生巡り会えないと、慶子の意思で即決だったらしい。
自分にそれを耳打ちしてくれたかつての同級生は、最後にちょっと自分を睨み付けた。待てど暮らせど連絡もつかない男より今の旦那さんのほうがよっぽどいい男だし、何より慶子を大事にしてくれるしね、と。
最後の一言に、幾分かのショックを受けたことは否めない。でも、そんな状況何も話してくれなかったじゃないか、と思うより先に、話をする時間すら取れなかったのは自分だし、慶子はそんな自分の状況を見て何も言わずに居たのだろう、と項垂れる。そういう女性だった。
そしてやはり、あの時も思ったのだ。例え結末を知っていても、同じ選択肢を目の前に出されれば、自分は同じ選択をしただろう。――つまりは、そういうことなのだ、と。
それでも。ふとした時に、その名が心について出る。
朝の満員電車のガラスに映る自分の大人びた顔を見て。深夜のオフィスで見上げた窓の向こうの満月を見て。冬の帰宅途中に暖を取りたくて立ち寄った自販機で。休みの日に散歩に出た公園ですれ違った犬連れの人を見て。吸い付けた煙草の煙の行く先を目で追いながら。
――慶子、と。何を語りかけるでもなく、ただ、その名を。
彼女が出来ても。彼女を愛してると思い至ったその時も。結婚しようか、と口にした時でも。
慶子。慶子。慶子。
あれが愛だったのか、子供のおままごとだったのか、分からないのは今ではそれが空気と化してしまったからだ。
朝起きて水を飲むように、いつもの喫煙ルームで煙草を吸うように、眠る前に飲むビールのように、それは自分の日常に沁み付いている。
慶子。
結局あれから、彼女のほうから“大恋愛”についての話はない。自分が言ったのだからあなたも、という風に話を向けられるのを少しばかり恐れてはいたから、それに安堵しつつも、何気ない会話の中で放たれた一言が唯一の楔となって穿たれている。
「子供が産まれても、前に付き合っていた人の名前を付けるだけは止めましょうね」
それは自戒なのか、それとも。
――慶子。多分、君を、愛していた。
もしも、今も君が生きていたのなら。
もしも、今も僕が生きていたのなら。
僕たちは、どんな日々を過ごしていたのだろうか。
僕たちは、幸せだったのだろうか。
この夢のように、平和で、温かい日々を。
君に、贈りたいと、思ったんだ。
……………………
これがわたしなりの今精一杯のお別れのご挨拶。
今でも、あなたの「カーテンコール」という作品が忘れられません。あれが、わたしの中で川慶の、そしてその後の川田の頂点でした。
更新や音信が途絶えてからいつかはこの日が来ることを覚悟をしていて、ひっそりと文章だけでも手元に残しておきたかったのだけど…わたしのPC環境から見ると、いつからかサイト全体が文字化けしていて。
そんなこんなで、もしかしたらTOPページにご連絡先等々ご記載あるのかもしれませんが、こんな廃墟ですらない場所でのメッセージになってしまってごめんなさい。
いつの日にかあなたに、たくさんの感謝とあなたの書いた作品の素晴らしさが届いてくれることを祈っています。
趣味書きからも遠のいていた一人に一気に物を書き上げさせるあなたの人柄と感性に、今後とも光多きことを。
長い間ありがとうございました。お疲れ様でした。
もしも、今も君が生きていたのなら。
僕たちは、どんな日々を過ごしていたのだろうか。
最近、愛煙家への糾弾が厳しい。
社内の一番隅に設けられた喫煙スペース、昨日肩を寄せ合って「まったく過剰反応だ」と愚痴り合ってた同志が、今日は眉を下げて向こう側に居ることも、もう珍しくはなくなった。
今もここに意固地に残っているのはほとんどが自分より二回りも上の世代で、ついでに言えば、社内でも閑職に追いやられたと思われる冴えない親父ばかりだ。
そこに混じる自分はまだ三十歳を超えたばかり、現役バリバリ、多分、出世コースからもまだ外れてはいない、はずだ。
そう思うのは自惚れではなく、一応根拠と呼べる状況がある。昨日は上司が、一昨日は同僚が、一週間前にはこのスペースにたむろする同志であるはずの親父たちが、皆口を揃えて、「君もそろそろ考えたらどうだ」と言う。庶務課の女子社員たちも、いい加減本当はこのスペースを倉庫に変えたいのだけれど、と立ち話のついでのように自分へ釘を刺していく。
しかし、そう言われれば言われるほど、ここへ足を運ぶ頻度は増えていく。変にひねくれているのはガキの頃から変わらないらしい、と、ふっと煙と一緒に苦笑を漏らしてしまった。
毎日同じことばかり繰り返し愚痴り合っている親父たちが、その空気の変化に食いつかないわけもなく。皆一様にこちらを振り返り、同じような台詞を矢継ぎ早に飛ばしてくる。
曰く、「どうした、男のくせにマリッジブルーか」「確かになぁ、独身時代の気楽さを思うと、なぁ」「夫婦は最初が肝心だぞ、一旦尻に敷かれたら一生そのままだ」「いやいや、あの子なら大丈夫じゃないか」「馬鹿言え、俺の嫁さんだって結婚するまではあんな風だったんだ」「お前こそ馬鹿言え、お前のずぼらな嫁さんと彼女を一緒にするな」「そういうお前の嫁さんこそ」……云々。
暇な中年世代は、男も女も関係なく井戸端話が好きらしい、とまた一つ新たな発見をしたところで、適当に同志たちの輪から抜け出した。
来週末、結婚をする。
お相手は同じ社内、自分は研究開発部、彼女は企画生産部、同期入社な上、仕事上での絡みも多かった。
同期飲み会などを経て、ごく一般的にそういう関係に発展し、山あり谷ありの大恋愛だったわけでも全く喧嘩をしないわけでもない普通の恋愛関係が続き、お互いが三十歳を迎えたのを機に、じゃあそろそろ、と相成ったわけだ。
案外こんなものなのね、と、入籍を前に半年ほど前から一緒に暮らし始めた彼女が、引っ越し初日の夜、それなりに片付いた部屋を見渡してから言った。結婚って、もっとロマンチックに、溢れんばかりの熱情の果てにあるものだと思ってたわ、と。
それに自分が返した言葉はこうだ、どうやらそういう人のほうが珍しいから目立って人の印象に残るだけで、案外こういうのが一般的らしい、と。
煙草部屋のおじさまたち曰く?と彼女は少し眉を寄せ、あの人たちの話聞いてると人生に希望が持てなくなっていやよ、と身体をそっと寄せてきた。
彼女もかつてはあのスペースの同好の士だった。
大恋愛をしたことがあるか。
同棲最初の夜の子守唄はそんな話題だった。
共に旅行を何度もしたことがあったし、お互いそれまで一人暮らしだったから週末に行き来もあった。共に枕を並べて眠るのは決して初めてではなかったけれど、その夜はどうも寝付けなかった。
彼女が先ほど漏らした夢物語に絡めた話題だったが、結論から言うと、お互いの答えは「イエスともノーとも言えない」で一致した。
とにかく、自分も相手も若かった、と。
彼女は大学時代の恋愛経験をかいつまんで話してくれた。二年上のサークルの先輩、相手の就活時期に一度危機を迎え、内定と同時に持ち直したものの、結局相手が社会人になってすぐにダメになった、と。
今思えば犬も食わない喧嘩もしょっちゅうだった、と自分の腕の中で彼女は懐かしそうに笑った。バイト先の女子高生に鼻の下伸ばして、そういうお前こそ付き合いだ人数合わせだって言いながらコンパばっかりして。相手の内定が決まってからは、二人でお金を貯めて一緒に暮らしていつか結婚しよう、子供は二人がいい三人がいい、一番最初は男の子がいい女の子がいい、そんなことを真剣に。
でもあの時は、本当にそうなると思ってたの、彼女の懐かしんでいた笑みが、ほんの少し寂しそうに歪んだ。
自分もそんな感じだったよ、と、彼女の肩に回した腕に少し力を込めたことを覚えている。そして感傷の沈黙の末、彼女が静かに寝息を立て始めたのを見計らってそっと吐息と共に吐き出した。
――慶子、と。
慶子とは中学生の時から付き合っていた。その時間の長さだけが、彼女の話と違う部分であるのかもしれない。
中学校の同じクラス、高校は違えど途中までは通学路が同じだったから時間が合う時は一緒に通った。変わったのは大学から。自分は希望学府が東京で、慶子は地元だった。
長期休暇があれば必ず帰ってはいた。それとは別に、慶子は講義の合間を縫って時々上京してきた。田舎の大学だから、そっちとは違って余裕があるのよ、なんて言いながら。
ただ、自分は忙しかった。母親は幼い時に、父親は中学生の時に亡くしていたから実家からの仕送りなんてものはなく、一応大学には奨学金で通ってはいたものの、学費以外の生活費が東京ではばかにならないほどかかった。
勉強とアルバイトの比率も重要度も半々で、正直、そこに恋人という存在が入り込む余地がなかった。
そうやって慶子の存在がおざなりになっていくと、長期休暇も滅多に帰らなくなった。両親も近しい親戚も居ないのだから休暇の度に帰る理由もなく、また交通費もばかにならず、そもそも世間の長期休暇の時期は学生バイトが重宝され一番の稼ぎ時だった。
自分が帰れない代わりに慶子が来た時もあった。でも、バイトやその後の付き合い飲み会や試験勉強や……とにかく、慶子を構ってやれる時間が、あの時の自分には取れなかった。
それが関係の綻びの原因と知った今となっても、この先何度同じ選択肢を目の前に出されても、自分はあの時の自分と同じ選択をするだろう。――つまりは、そういうことなのだ。
疎遠になって何年かして、大学を卒業して希望の企業に就職を果たし、新卒入社としての研修も明け部署に配属されて、やっと落ち着いて両親の墓参りに帰省した折に、風の噂で慶子は卒業と同時に見合い結婚をしたと聞いた。聞けば父親の具合が数年良くないらしく、母親も看病疲れでとても家庭を一人任せさせ続けるわけにもいかず、心配した親戚筋が慶子が専業で家庭に入れ、かつ両親と同居を受け入れてくれる男を宛がったのだそうだ。
そんな都合のいい話はあり得ないと思い、聞いた時には詐欺かそれともその条件でしか結婚出来ないほどの経歴の汚れた相手かと憤りすら覚えたが、そんな自分の思いは杞憂でしかなく、逆にこんな好条件の相手にはこれを逃したら一生巡り会えないと、慶子の意思で即決だったらしい。
自分にそれを耳打ちしてくれたかつての同級生は、最後にちょっと自分を睨み付けた。待てど暮らせど連絡もつかない男より今の旦那さんのほうがよっぽどいい男だし、何より慶子を大事にしてくれるしね、と。
最後の一言に、幾分かのショックを受けたことは否めない。でも、そんな状況何も話してくれなかったじゃないか、と思うより先に、話をする時間すら取れなかったのは自分だし、慶子はそんな自分の状況を見て何も言わずに居たのだろう、と項垂れる。そういう女性だった。
そしてやはり、あの時も思ったのだ。例え結末を知っていても、同じ選択肢を目の前に出されれば、自分は同じ選択をしただろう。――つまりは、そういうことなのだ、と。
それでも。ふとした時に、その名が心について出る。
朝の満員電車のガラスに映る自分の大人びた顔を見て。深夜のオフィスで見上げた窓の向こうの満月を見て。冬の帰宅途中に暖を取りたくて立ち寄った自販機で。休みの日に散歩に出た公園ですれ違った犬連れの人を見て。吸い付けた煙草の煙の行く先を目で追いながら。
――慶子、と。何を語りかけるでもなく、ただ、その名を。
彼女が出来ても。彼女を愛してると思い至ったその時も。結婚しようか、と口にした時でも。
慶子。慶子。慶子。
あれが愛だったのか、子供のおままごとだったのか、分からないのは今ではそれが空気と化してしまったからだ。
朝起きて水を飲むように、いつもの喫煙ルームで煙草を吸うように、眠る前に飲むビールのように、それは自分の日常に沁み付いている。
慶子。
結局あれから、彼女のほうから“大恋愛”についての話はない。自分が言ったのだからあなたも、という風に話を向けられるのを少しばかり恐れてはいたから、それに安堵しつつも、何気ない会話の中で放たれた一言が唯一の楔となって穿たれている。
「子供が産まれても、前に付き合っていた人の名前を付けるだけは止めましょうね」
それは自戒なのか、それとも。
――慶子。多分、君を、愛していた。
もしも、今も君が生きていたのなら。
もしも、今も僕が生きていたのなら。
僕たちは、どんな日々を過ごしていたのだろうか。
僕たちは、幸せだったのだろうか。
この夢のように、平和で、温かい日々を。
君に、贈りたいと、思ったんだ。
……………………
これがわたしなりの今精一杯のお別れのご挨拶。
今でも、あなたの「カーテンコール」という作品が忘れられません。あれが、わたしの中で川慶の、そしてその後の川田の頂点でした。
更新や音信が途絶えてからいつかはこの日が来ることを覚悟をしていて、ひっそりと文章だけでも手元に残しておきたかったのだけど…わたしのPC環境から見ると、いつからかサイト全体が文字化けしていて。
そんなこんなで、もしかしたらTOPページにご連絡先等々ご記載あるのかもしれませんが、こんな廃墟ですらない場所でのメッセージになってしまってごめんなさい。
いつの日にかあなたに、たくさんの感謝とあなたの書いた作品の素晴らしさが届いてくれることを祈っています。
趣味書きからも遠のいていた一人に一気に物を書き上げさせるあなたの人柄と感性に、今後とも光多きことを。
長い間ありがとうございました。お疲れ様でした。
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