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* それはとても、晴れた日で *

かきたいときに、そのときかきたいことを無節操に。

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【銀魂二次】春夏秋冬/秋:宵闇のこども【沖田・土方】
銀魂。沖田さんと土方さん。ちょっと春のおはなしと絡んでる。
沖田さんと土方さんはお互いがお互いをこども扱いしてるといいなという妄想。








 幼い頃の総悟の世界は、とても小さく狭かった。
 けれど、たくさんの温もりと優しさで満ち溢れていた。
 しかしそこに、突然黒い影が割って入って来たのだ。



 「トシ。土方、十四郎。今日から俺たちの仲間だ」



 そう言って笑った近藤の顔を、総悟は今でも忘れない。
 前の晩に絡まれたと言って傷だらけの顔で、切れた口端を意にも介さず吊り上げて、それはもうにっこりと。
 何でそんなに、嬉しそうに。…いや、分かっている、この人はお人好しで、人の良い所しか見ようとしない大馬鹿なお人好しで。誰にだってそうだった、総悟にだってそうだった。
 それでも。
 土方という男を見る近藤の眼には、確かな信頼が見えたから。
 あの日の悔しさと哀しさを、総悟は今でも忘れない。



           ***



 「トシ、総悟」
 ある日の稽古終わり、近藤に呼び止められて総悟は足を止めた。一緒に呼ばれたのがあのムカツク野郎だというのが気に食わないが、それは言っても仕方がない。
 振り返った視線の先、近藤が人の好い顔で、けれど少し眉を下げて申し訳なさそうに笑っていた。
 「悪いんだけどさァ、明日の出稽古、二人で行ってくんねェか? 明日村の会合があるのすっかり忘れててよォ」
 困ったように後ろ頭を掻きながら言う近藤に、総悟は二つの意味で愕然とした。一つは、いくら人の好い近藤から見ても犬猿の仲にしか見えないだろう自分たちに二人で行けなんていうこと。もう一つは、
 「出稽古って、そもそも明日は、俺と原田と三人だったはずじゃ…」
 思わず近藤に駆け寄ってその大きな身体を見上げると、近藤はすぐさましゃがみ込み、総悟と目線を合わせてくれた。けれど、困り笑顔なのは変わらなかった。
 「あー、悪ィ悪ィ、総悟に言うの忘れてた。明日、原田もな、ちょっと都合が付かなくなっちまったみたいでよ。そんで、代わりにトシ連れて行こうと思ってたんだよ」
 「原田が駄目でも、だったら何でアイツなんですか。アイツまだ、出稽古なんてやったことないじゃないですか。永倉でも藤堂でも、」
 嫌だ嫌だと駄々をこねる総悟の頭に、近藤の大きな掌が乗せられる。
 「いや、こないだの交流試合で、向こうさんがえらくトシを気に入ってくれてよォ。そん時から是非にとは言われてたんだ。確かに初めてだけど、総悟と二人なら大丈夫だろう?」
 明日行く予定の出稽古先は、近藤の道場と昔馴染みのところだった。交流試合も割と頻繁に行われている。総悟のような(悔しいけど)まだ子供が出稽古に行っても、最初は少し驚かれたが、その腕を見てみんなが認めてくれた。総悟にとって、姉と住む家と近藤の居るこの道場の次に、好きな場所だった。
 なのに、またか、と。そこもなのか、と。
 尚も近藤に言い募ろうと総悟は顔を上げたが、笑顔でわしわしと頭を撫でられてはもう、総悟は口を噤むしかなかった。俯いて悔しさに唇を噛み締める総悟の背後から、野郎の低い声が聞こえる。
 「…俺は、構わねェよ」
 気配で、野郎が去って行くのが分かる。その背に、目の前の近藤が視線を上げ、じゃあ明日頼むな、とほっとしたように声をかけるのが、また総悟を惨めにさせた。



 総悟は知っている。自分はまだ子供でしかないんだということを。
 例えどれだけ剣の腕が立とうとも、目の前のこの人にとっては自分はまだまだ子供で、護る対象でしかないんだということを。
 そしてあの気に食わない野郎のことを、野郎の力量を認め、己の背を預けるに足る男だと思っていることを。
 (…気に食わねェ)
 だから今日も今日とて、総悟は野郎に勝負を挑む。
 自分はこの男よりも強いんだということを、だから――俺だってアンタと対等に並び立てるんだということを、認めて欲しくて。



           ***



 出稽古は滞りなく終わった。陽の落ちかけた帰り道、二人は無言で歩き続ける。
 ふと総悟が視線を上げれば、半歩先を歩く野郎の背中に、頭頂部で無造作に結われて垂れ下がる黒くて長い髪が揺れていた。
 その髪の手触りを、総悟はもう嫌というほど知っている。掴み合いの喧嘩になった際、掴み易くていつも引っ張ってやるからだ。
 けれどその髪はいやにつるりとしていて、掴んでも掴んでも気付けばいつも拳の中から零れてしまう、本体と一緒で総悟を苛々させるシロモノだ。
 自然にイラッとした気持ちそのままに、総悟は目の前で揺れる髪に手を伸ばす。と、



 「――土方」



 道の路傍に茂る雑木林の奥から不意に複数人の気配が生じた、そして同時に声も聞こえた。そのどちらも敵意と憎悪に満ちたもので、総悟は慌てて竹刀を取り出そうとする、けれどそれは、いつの間にか自分の眼前に立ちはだかっていた野郎の後ろ手で制された。
 「…クソガキ。テメェはさっさと帰れ」
 何を、と噛み付こうとして総悟は顔を上げ、そして少しばかり、驚いた。見上げた野郎の顔が、今までに見たことのない、何と言うか、ひどく獰猛な顔をしていたので。
 けれどそれも一瞬、総悟は言われたことなどまるで聞こえなかったように綺麗に無視をして、さっさと竹刀を取り出して構える。
 「バカ、剣道の試合じゃねェんだよ。それにこれは、俺の喧嘩だ」
 野郎が苛立たしげに舌打ちをし、鋭い眼で見下ろして来るが、そんなのちっとも怖くない。そして、そんなこんなしている内にすっかり四方を雑木林から出て来た破落戸どもに囲まれてしまったけれど、そいつらなんて、目の前のこの野郎や稽古の時の近藤に比べれば、全然少しも恐ろしく感じない。だから総悟はニヤリと笑ってやった。
 「お前の喧嘩だってんなら尚更邪魔し甲斐があるじゃねェか」
 それと俺のことは“センパイ”って呼べって言っただろ、と言い捨てて、そのまま、野郎が尚も何かを言いかけるのを聞かずに、総悟は駆け出していた。



 総悟の予想通り、その破落戸どもは全く手ごたえがなかった。向こうが所詮子供だとナメてかかっているのもあるのだろう。しかしそれは、今の総悟にとっては火に油を注いでるようなものだった。
 「…ッのガキ、」
 いつもの稽古通り、いつもの試合通り、身体の小ささを生かして素早く相手の懐に飛び込み、鳩尾を竹刀の柄で突く。目の前の男は呻きながら膝を付き、悪態を吐きながら憎々しげに顔を上げる。そこを上から振りかぶった総悟の竹刀が脳天を撃つ。そのまま昏倒する男の背を踏み付けて、次。
 ちらりと野郎の方へ視線を飛ばしてみれば、あちらはあちらで真正面からばったばったと殴り倒している。そう、野郎はいつでも真正面からだ。視線を自分も正面に戻しながら、総悟は思う。
 稽古の時も、試合の時も、総悟と喧嘩する時も。背後に回ったりだとか相手の死角に入ったりだとかはしない。常に猪突猛進、真っ直ぐ相手に向かって行って、気迫と力で捩じ伏せる。
 だからと言ってそういう搦め手が苦手というわけでもないらしく、総悟が逆に背後や死角から野郎に襲いかかったとしてもきっちり受け止めて捌いてくる。
 それは、多分。また目の前の男を一人眠らせながら総悟は知る。きっとこういう一対大勢のやり合いを、あの野郎がずっとやってきたからなのだ、と。
 「…ッ!」
 前方に集中していた総悟の背後に沸いた気配があった。慌てて振り向こうとするも一歩遅く、頭を鷲掴みにされて持ち上げられる。竹刀を振って逃れようとしたが、逆に竹刀を奪われてしまった。
 血走った眼が眼前にあった。怒りに引き攣るこめかみが見えた。唇が、ひくひくと嗤いの形に歪んでいた。
 ――殴られた、と認識したのと同時に頭の中で星が弾け、そのまま総悟の意識は遠のいていく。



 「……――総悟!」



 聞いたことのない声が、自分の名を確かに呼んだ気がしたのだけれど。



           ***



 ぼんやりとゆっくりと総悟の意識が浮上した時、一番最初に認識したことは、揺れている、ということだった。
 ゆら、ゆら、ゆら、ゆら。それはどこか覚えのある、心地良い揺れだった。
 次に認識したのは、さらさらとした何かが、自分の頬を撫でている感触だった。
 眼を開けてその何かを確認しようとしたけれど、ゆらゆら続く揺れは優しく総悟を眠りに誘っていて、結局総悟はもぞりと身じろぎをし、その次に認識した自分がぴったりくっついている温かい何かにすり、と擦り寄るだけにとどまった。
 代わりに手を伸ばして、さらりとしたその何かに触れる。
 指先に触れたそれをきゅっと握ってみれば、柔らかなそれは総悟の小さな拳の中でするりするりと踊り、掌や指を擽りながら逃げていく。その感触も心地良くて、再び総悟の意識は沈んでいく。
 「……悪かったな」
 眠りに落ちる前最後に認識したのは、やけに近いところから響いた、くぐもった低音だった。






 ぱちり、と急に総悟は目が覚めた。寝起きが良くない総悟にしては、珍しくすっきりとした目覚めだった。
 けれど視界に映った世界は真っ暗だったから、あれ、と総悟は首を傾げた。
 静かに身を起こす。よくよく見渡せば、ここは姉と住まう家の自室ではなく、近藤宅の一室のようだった。
 ふと左頬に熱を感じて触れる。ビリッとした電気刺激のような痛みが走り、思わずイテッと漏らしてしまった。そして、あぁそうか、と思い至る。
 出稽古の帰り道で破落戸どもの待ち伏せに遭ったこと。背後の敵に不覚を取り捕まったこと。強烈な一発を喰らいあっさり気絶してしまったこと。
 どうやらそれから今までずっと眠っていたらしく、夜明けまではまだまだ、時刻としてはまだ宵の頃だろうと思われた。しかし周りはしんとしていたから、近藤含め家人は既に休んだ後なのかもしれない、ということは思ったより深い時間なのかもしれないと思い巡らす総悟の前髪を、ささやかな夜風がふわりと撫でた。
 そこで初めて総悟は、縁側に続く障子がほんの僅か開かれていること、その向こうの雨戸まで一枚分だけ開いたままになっていることに気付いた。
 眠っていた布団から立ち上がる。雨戸を閉めようと思ったのだ。別に大して部屋が寒かったわけではないのだが、とはいえ季節はもう秋で、夜半から夜明けはもうそこそこ冷える。自分が風邪を引こうものなら、共に暮らす身体の弱い姉に移してしまうかもしれない。
 立ち上がった時に一瞬眩暈がした気がしたけれど、気にせず総悟は歩みを進め、障子に手を掛けようとしたところで立ち止まった。外に、誰か居る。
 そぉっと、僅か開かれていた隙間から外を覗いてみたならば。
 「……、土方」
 ぽつりと呟いた声を拾ったのか、それとも既に気配で気付いていたのか、縁側に座り込んでいた黒い影がゆっくりと振り返り総悟を見やる。
 「起きたのかよ、クソガキ」
 鋭い視線がさっと総悟の全身に走ったかと思うと、すぐに野郎はまた外へと顔を向けた。その背中が不機嫌そうに吐き出す、今日はお前泊まりだから、ガキはさっさと寝ろ、と。
 ガキ扱いすんな、と怒鳴ろうとして大きく口を開けたところでまた左頬に痛みが走り、結局総悟は言葉を発せずに、未だ熱を持つ頬を両の掌で押さえた。その時感じたひやりとした感覚にそっと押さえた頬を撫ぜてみれば、そこには大きな湿布が貼ってあった。
 不意に視線を感じて顔を上げると、また野郎が振り返ってこちらを見ていた。視線の鋭さは先と変わらなかったが、その眼はやけに静かで。気持ちの悪い違和感に知らず総悟の眉が寄る。
 「…痛ェか」
 じっとこちらを見据えたまま、野郎が口を開く。
 「別にこんなの、大したことねェよ」
 自分を見据える視線がひどく居心地悪くて、総悟はふいと顔を背けた。縁側の向こうの庭先に、冷え冷えとした月明かりが降っている。その中を、夜風に散らされた紅葉の葉が舞っている、ひらり、ひらりと。
 何か言いたげにこちらを見やっていた野郎の視線が、やっと外へと逸らされた。確認して、今度は総悟がこっそり視界の端に野郎の姿を入れる。
 縁側の隅にひっそりと腰を据えているその姿には月が作った影が落ちていて、野郎の周りだけ不思議に仄暗かった。斜め後ろから見やる横顔にも、黒の着流しから覗く腕や脚にも、真新しい傷跡がちらほらと。その傷だらけの肌の上を、さらさらと夜風に流れる夜色の長い髪が静かに撫でていき、殊更野郎を闇に隠そうとする。それでも、宵闇に沈む野郎の中である一点だけ、夜空色の瞳だけが、視線の先の月明かりを映し込んできらりと光を放ち。
 (…気に食わねェ)
 総悟は再び、目の前の男に対する怒りを新たにした。
 近藤からの信頼を得ていて。道場のみんなからの信頼も得て。出稽古先でもその力を認められて。…姉の心の中にも、住んで。
 総悟が日々仕掛ける勝負を、きっちり真正面から受けて立って。
 きっと今日、気を失った後の総悟を護り(だって殴られた左頬以外にはどこも怪我をしていなかったのだから)、ここまで連れて帰っても来やがって。
 何もかもをいとも容易く手に入れておきながら。
 どうして、その何もかもから、己を違う世界に置こうとするのか。
 どうして、その何もかもを総悟だけが持つような眼をして、それを護ろうとするのか。



 野郎の長い髪がさらりと揺れる。
 本体と一緒で、掴んでも掴んでもするりと抜け出していく、忌々しいそれ。
 逃げ出していくくせに、心地良い手触りだけは残していきやがる、それ。
 その夜色の髪を、――――綺麗だと思っていたのは、本当で。



           ***



 総悟が十一になった日の夜。
 道場で祝いにかこつけたどんちゃん騒ぎが繰り広げられ、みんなが酔い潰れ、寝静まった頃。
 総悟は、近藤と二人きりの縁側で、一つの話を聞いた。
 あの野郎の、生まれから、育ちから、……十一の時に起こったこと、全て。
 トシには内緒な、と近藤は言った。そして、稽古の時のような厳しく優しい眼で総悟を見て、一言、言った。
 お前は超えられるか、と。



 それに対し、何と答えたのかを総悟はもう覚えていない。
 ただ、真っ先に思ったことだけは覚えている。
 ――何だ、テメェもただのこどもじゃねェか、と。
 いつもいつも、どこか人の輪の外に己の身を置きたがるような奴だった。近藤が屈託なく笑いかけ肩を抱いても、その笑顔に返しはすれど、それはどこか一歩身を引いた笑顔で。道場の他の連中が酒の席でああだこうだと道場に身を寄せる前の話を聞こうとしても、のらりくらりと曖昧にはぐらかし続けて。
 …総悟の姉が、初心で駆け引きなど知らぬが故の、あんなにも分かりやすい好意を示しても、顔を逸らすばかりで。
 ただビビってるだけじゃねェか。……自分から、手を伸ばすことを。
 そのくせ、総悟がちょっかいを出せばすぐムキになって。歳の差も体格差も関係なく、本気で真正面から殴りかかって来て。
 それは、総悟のちょっかいが洒落にならないレベルだとかそんなことは関係なく、――――そうやって本当は、自分も受け止めて欲しかったんだろう、と。
 思い出すたび、総悟は腹の底から笑い出したくてたまらなくなる。人のことを散々ガキ扱いしておいて、テメェだって十分こどもじゃねェか、と。
 ――そんなヘタレに誰が負けるか。
 いつでも、何度思い出してもそう思うから、案外そのままをあの時近藤に返したのではないかと総悟は思う。
 強くなりたい想いは一緒だ。野郎が護りたいものを護れる強さを求めるように、自分だって護るための強さを、この人たちと肩を並べて歩き続けるために、その背中を預けてもらえるようになるために。
 この想いも、いつだって変わらない。口には出していないだろうけれど。



           ***



 幼い頃、小さく狭かった総悟の世界を、温もりで満たすように包み込んでくれていたのは姉だった。
 姉の胸に埋めていた総悟の小さな頭を、大きな掌で撫でて上を向かせてくれたのは近藤だった。
 そして、アイツは。あの野郎は。
 置いて行かれまいと伸ばす手の先で、長い髪を揺らして立っていた。
 姉のように手を繋いでくれるわけでも、近藤のように手を差し出してくれるわけでもなかったけれど。
 総悟が手を伸ばせば必ず届く位置に髪を垂らして、掴めば振り向いて痛ェと文句を言う。そしてするりと手の中から抜け出してまた前へと進んでいく。…総悟と、一緒に。
 総悟は知っている。
 江戸に上って松平のとっつぁんに拾われて、自分たちが特殊武装警察なんて組織になる時に、松平も近藤もまだ十五にもなっていない総悟をその組織の一員として加えることに迷っていたこと。
 それは野郎も一緒だった。自分がガキの頃にあんな経験をしていたから尚更だったらしい。
 それでも最終的に、松平と近藤を説得したのはその野郎だったという。曰く、ずっと一緒にやって来て、身体の弱いたった一人の肉親さえ置いて付いて来たあいつを、今更そんな理由で切り捨てるのはあいつの覚悟を無下にするようなもんだ、アンタはそれも含めて覚悟を決めなきゃなんないんだよ、近藤さん。…畜生、ヘタレヤローのくせに偉そうに。気に食わねェ。ああもう、本当に気に食わねェ。



 だけど、その長い髪を切り落としても尚、総悟の手の先で立っていてくれることが、……嬉しかったのは、本当で。






 (ま、そこんとこはお互い様でしょうがねィ)
 だって、自分が手を伸ばしてやらなければ、ヘタレで臆病でガラが悪くて喧嘩っ早くてニコチンコで犬の餌マニアなどうしようもないこのこどもは、また勝手に宵闇に身を沈めようとするだろうから。
 とりあえず。
 「死ね土方」
 「あァ!? テメェ脈絡なく喧嘩売ってくんじゃねーよ何なんだよ」
 総悟の半歩先をばかすか煙草の煙を吐き出しながら歩く、その背中にもうあの綺麗な夜色の髪は揺れない。けれど総悟は手を伸ばした。
 首筋にかかる、後ろ髪の毛先をぎゅっと引く。あの長い髪を引いたのと同じように。
 「いでっ! いった、総悟、テメェ離せ、いだだだだっ」
 後ろ髪を引かれて仰のきながら、ギロッと野郎が睨み下ろしてくる。――ああ、その身長差も気に食わねェ。例え髪が短くなっても、身長が同じかコイツ以上だったなら、こんなに必死に手を伸ばさなくても届くのに。
 「…早くアンタの髪が伸びるように、お呪いでさァ」
 伸びる前に抜けるわハゲになるわっ!と喚く野郎は無視して。握った毛先を指の腹でつるりと撫ぜてみたならば。するりと指の隙間から逃げ出していくそれに、総悟は満足の溜め息を吐いた。
 (遊んでやりまさァ、…いつまでだって)
 ――――だからこれからも、みんな一緒に。
 こちらへと振り向いてぎゃんぎゃん怒鳴る野郎の向こうから、宵の気配が近付いていた。


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