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* それはとても、晴れた日で *

かきたいときに、そのときかきたいことを無節操に。

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【デュラララ】世界はそれを何と呼ぶ①【シズイザ】
ありきたりな強●からのハッピーエンド。
結局、メリバ回避はどうしても臨也さんに譲歩と妥協をお願いするしかなかった。
そういう意味ではとっても悔しい産物ではあるのだけど、勿体無い病と、それでもやっぱり自分がせめて二次ではハッピーエンドにしたかったので(いや原作もハッピーエンドよ)。
これでやっと昇華して、新たな萌えを詰め込める枠が出来そう。

長くなったので分割。






 やっと、自分の力をコントロールすることが出来るようになってきた。そんな自分を、少しずつ認められるようになってきた。
 色んな物事が片付いた街は平和で――結局人が集まれば大なり小なり良からぬことは起こるものだけれど、少なくとも自分、平和島静雄の周囲は大分静かになった――、静雄がプッツンきてしまうようなことはもうほとんどない。
 ようやく、己の望む世界を手に入れたのだ、と。長い長い、数限りない闘いの末に、ようやくそれを勝ち得たのだ、と。
 そう、静雄は少し自惚れていたのかもしれない。いや、少し、なんてものではないだろう。だって、それを、“勝ち得た”、だなんて。
 あの日のあの闘いに、勝ち負けなんてなかった。静雄は決して、あの男に勝ってなどいなかった。
 だからこその、今なのだから。


           ***


 あれから長いこと、静雄の前にあの男は現れなかった。静雄の前どころか、この池袋の街にも、奴の住処だった新宿にも、奴の数少ない(というか恐らく唯一の)友人の前にも、双子の妹たちの前にも、何処にもあの男は現れなかった。
 最初こそ静雄は、その世界を大きな喜びで受け入れた。
 もう、道を歩いていて急に感じるあの臭いに苛立たされることもなく、不穏な気配が静雄の周りに集まることもなく、どうせ刺さりもしないナイフが飛んでくることもなく、とにかく、平和で穏やかな日々が静雄に訪れたのだから。
 尊敬する上司もやっと落ち着いたかと嬉しそうに笑ってくれて、弟の幽ももうこれで心配ないねと心底安心したように溜め息をついた。数少ない友人(この部分に関してだけは静雄もあの男のことをとやかく言えない)であるセルティも、本当に良かったと言ってくれた。
 けれど、少しずつ時が過ぎていって、平和で穏やかな日々が日常へと変化していくにつれて、少し、ほんの少しずつ、周りに冷たい風が吹き始めたような気がして。
 きっかけは岸谷新羅、静雄とあの男共通の友人であり、愛する彼女であるセルティ以外には興味がないと公言して憚らない男。
 君のところに、連絡とか音沙汰とかないのかい、と。
 目を剝いた静雄に、まあまさかよりによってある訳ないよね、あったとしたらまさに驚天動地だ、そう言って少しだけ寂しそうに眉を下げて見せて。
 静雄に対して直接あの男の名前を出してくる人間など限られていて、だから静雄にそんなことを問うてきたのはこの新羅の一度と、奴の妹たちからの一度だけだった。
 それでもふと、街を歩きながら目を反らせば、セルティが時々仕事の様子でもなさそうにバイクでグルグル街を回っていたり、門田がスマホを暫く耳に押し当てた後に溜め息を零していたり、露西亜寿司で“とある客”の置いてある酒が置き過ぎて悪くなりそうだからと振る舞われたり。
 静雄の穏やかな日々に流れ込んでくる隙間風。
 ついイラッとして真横のコンクリビルの壁に拳を打ち付けてみれば、壁には僅かなヒビが入っただけで、そこで初めて静雄は戦慄した。戦慄したことに戦慄した。
 こんな化け物じみた力など憎んでいた。その力をのべつまくなし振るってしまう自分の短すぎる導火線も憎んでいた。どうせなら誰かのために使いたい力を、使えば使うほど誰をも傷付けてしまう、うまくやれない自分を、憎んでいた。
 それなのに、ただ、殴った壁に穴が開かなっただけで。


 ――俺は弱くなったのか、なんて。


 …いや、それは普通なのだ。それが普通なのだ。普通の人間はコンクリ殴って穴なんて開かない。己が無傷でコンクリの方に僅かでもヒビが入っただけで十分化け物だ。
 なのに何かが静雄の胸を焼く。嫌な焦燥感に額に汗が滲む。息苦しさに火を付けたばかりの煙草を吐き捨てた。


 ――あいつに勝てるのか、って……


 …あの日のあの闘いから長いこと、静雄の前にあの男は現れなかった。そうして得た、平和で穏やかな日々。
 その穏やかな日常の中で、静雄は日々ほっとしていた。
 今日は誰にもキレなかった、今日は誰にも手を上げなかった、今日は何も壊さなかった、今日はあの臭いに出会わなかった……
 今日は。今日は今日は今日は今日は。
 死んではいなかったことは、大分前に見知らぬ誰かからの問いに応えることで知った。その時静雄は何て言ったか。池袋には二度と来るな、そう、言わなかったか。
 当たり前のように。いつものように。今まで通りに。
 けれどあの男は、静雄が今まで何度同じことを言おうと、いつだって池袋の街を飛び回っていた。そこにあった“執着”が何であったのか静雄の知るところではないけれど、ただ一つ言えることは、“静雄を殺す”ことだって、確かにあの男が執着していたことだったはずで。
 だから。だから……
 あの男が居ない日々を日常として受け入れながら、それでもまたあの男と見えることを当たり前だとしていた自分に、静雄は戦慄したのだ。
 そうして何とも間の悪いことに、本当に、何年も姿を見せなかったのに何故今このタイミングなんだと頭を掻きむしりたくなるほど最悪なタイミングで、静雄の嗅覚が“胡散臭さ”を拾ってしまった。
 一生忘れることなど決してない、“ノミ蟲”の臭いを。




 ――――それから後のことを、静雄は覚えていない。
 覚えてはいないけれど、今眼前に在る光景はすべからく静雄が引き起こしたものなのだろうとは思った。
 静雄の部屋が過去最大に荒れている。嵐が部屋を突き抜けていったのだと言って、誰もが信じてくれるだろうほどに。
 部屋が真っ暗なのは電球が割れたから。部屋中肌寒いのは窓ガラスが割れたから、ついでに壁のあちこちに穴が開いているから。目の前が雑多でごちゃごちゃしているのは本棚が倒れて中身が全てぶちまけられているから。その中には幽が出演した映画のDVDもあって、パッケージが真ん中からへし折れているのが目に入ると、疲れに疲れて精根尽き果てた身体にまた怒りが湧くのが我がことながらいい加減うんざりすると静雄は思う。
 それでももう、怒りの向け先は何処にもない。敢えて向けるなら自分になのだが、力の入らない今の身体でこの身体を傷付けられるとは思えなかった。
 視界の中が赤い。それは比喩でも何でもなく、元は敷布団だった綿の塊に散った血痕が視界に入っているからで、そしてその血を肌に塗した、血の出所である人間が一人、視界の中心に横たわっているからだった。
 何でこんなことになったのだろうと、ただ静雄は思って絶望する。
 目の前が真っ暗なのは、部屋の電球が割れたからだけではない。寒くて身体が震えているのは、窓ガラスが割れたから、ついでに壁のあちこちに穴が開いているからだけではない。
 平和で穏やかな日常など何処にもなかった。静雄は何も勝ち得ていない。勝ってすらいない。自身の力のコントロールなど何一つ出来てはいない。
 ノミ蟲だ、と思った瞬間に何もかもが見えなくなって分からなくなって、気付いたらこの有様だ。
 突如目の前に現れた静雄に、まさかと大きく目を見開いたのはうっすらと覚えている。最近そっち方面は別の人間に任せているからちょっと見逃してもらえないかなあと、それでも変わらないあの厭らしい笑みを浮かべて、あっという間に手にナイフを握り締めて。
 けれど何故だかあっさり静雄に捕まって、それでも変わらずナイフを突き立ててきて、やっぱり刺さんないんだねえと大仰に呆れて見せて、それから。
 それから。
 目の前が雑多でごちゃごちゃしているのは本棚が倒れて中身が全てぶちまけられているからだけではない。静雄が今日着ていたバーテン服や、目の前で横たわる人間が着ていた黒い服がビリビリに破れた布切れ状態で散らばっているからだ。元は布団だった綿や羽毛も然り。
 ……さっきからずっと、床に投げ出された静雄の手を、ゆっくりと撫でさすっている手がある。
 この手は恐らくさっき静雄にナイフを突き立ててきた手だ。今までずっと静雄にナイフを突き立ててきた手だ。指先一つで様々な胡散臭い臭いを撒き散らし、それでも最後は必ず静雄の目の前に立ってナイフを突き立ててきた手だ。
 その手が今、痺れているのか痙攣なのか小刻みに震えながら、それでもゆっくりと静雄の拳を撫でている。静雄の拳に張り付いた乾いた血をサリサリと擦り落としながら、何処かにぶつけたのか青黒く色が変わった甲を晒しながら、ゆっくりと静雄の肌をさすっている。
 ――――まるで、冷えた静雄の心を温めるかのように。慰めているかのように。

「……ノミ蟲」
(……臨也)

 静雄の掠れに掠れた小さな声に返る言葉はなかった。
 ただ、静雄の拳を撫ぜる手が止まり、その手は静雄の手首より少し上を掴んできてぐいと引く。
 疲れに疲れて精根尽き果てた静雄の身体はそれに抗う術もなく、元は洋服だったり布団だったりした布切れの中に突っ伏すように、その布切れの中に横たわる男の肌に縋りつくように、倒れ伏す。
 静雄の嫌いで嫌いで感じるたび胸が悪くなるノミ蟲の臭いと血の臭い、それに混じる男臭い臭い、全てが静雄の嫌悪感を刺激してやまないのに、それでも静雄は黙って目を閉じた。もう今日は疲れていたのだ。何も見たくも考えたくもなかった。
 静雄の身体を引いた手は、倒れ込んだ静雄の新たな手の置き場所を探り当てると、またさっきまでと同じように触れてきて、撫ぜた。
 ただそれだけで、静雄はあっさりと意識を手放してしまう。
 そうして目が覚めた時には、折原臨也は静雄の前からまた姿を消していたのだった。


           ***


 俺は、あの怪物の人間の部分を見ようともしなかったから負けた――――


 ならば今回は、うっかり、ついうっかり、あの怪物を人間だと誤解してしまったからこうなってしまったのだろうか。
 ホテルのベッドの上で仰向けたまま、折原臨也はぼんやりと溜め息を零す。
 本当は、あの化け物に言われるまでもなく、もう二度と池袋に行くつもりはなかった。
 あの日から色んな街を転々として、そりゃあ池袋のような日本有数の大都市の方がたくさんの情報とたくさんの人間が集まっていてたくさんの要素が影響し合って非常に面白い人間観察(リハビリ)が出来るのは事実だけれど、地方の閉鎖的な都市でのあれこれというのも、それはそれで興味深いものがあった。
 それに、別に大都市は池袋だけじゃない。東京だけじゃなく、大阪だって名古屋だって福岡だって十分大きく、人も企業も集まっている。地方都市に飽きたら次はそちらに行けばいいだけの話だった。
 なのに、何故、臨也は昨晩池袋に足を踏み入れてしまったのか。
 単純に、仕事の都合だった。今他所の街で抱えている案件で、どうしても昔の伝手が必要になった、またそれは特殊な伝手で、どうしても他の人間には任せられないもので、臨也直々に出向かざるを得なかった、ただそれだけ。
 たった一晩、小一時間程度の滞在で済む予定だった。とはいえ、一応念には念を入れたのだ。
 粟楠会には簡単な手土産と一緒に今の案件の内容は伏せつつも訪問理由を告げて、それとなく今回だけのお目こぼしをもらったし、首無しと新羅には街を離れてもらう仕事を入れた、その他あの当時の学生連中は今は身を引いてることを入念に確認し、そして何よりの障害であるあの化け物には、その日の業務が滞りなく終わるように調整し、連れの先輩にはその後の予定を入れてやり、時期もなるべく給料日前に寄せて、あの化け物が溺愛してやまない弟の新作映画の公開日をずらし、ついでにその映画の宣伝で弟が出演する番組まで用意し、放送をその日の夜にまでして、とにかく仕事が終わったら真っ直ぐ家に帰るように仕向けた。
 それなのに、だ。そこまでして尚、相手方との密会場所をあれの家とは真反対にまでしたのに、だ。
 何故平和島静雄があそこに居たのか、もう臨也には、皆目見当も付かない。そして何が何でも臨也の思い通りにはならないあの男に、正直もう、お手上げのような気分だった。


 俺は、あの怪物の人間の部分を見ようともしなかったから――――


 そう。所詮、“人間の部分”でしかないのだ。元は怪物、最初から最後まで怪物、人間の仲間が近くに居なければ結局はあのザマ。
 寧ろ、臨也を見付けてそして“色々終わる”までは、まるで、


(……獣みたいだった)


 怪物と獣、どちらがどうという訳ではない、臨也にとっては人間かそれ以外かの違いでしかない。それでもあれは、怪物というよりは“餓えた獣”と呼んだ方が正しいような有様だった。
 それでも。
 それでも、色々終わった後のあの化け物の様は目を引いた。
 それまでも、臨也や他の有象無象を殴り飛ばして蹴り飛ばしてぶっ飛ばして、相手がそこそこ洒落にならない怪我を負った時は、後になって幾らか反省とか後悔とかで落ち込むこともあった。しかしそれは結局怒りへと循環していくので、全く意味のないものだったけれど。それも含めて結局は人間でなく怪物でしかないと思っていたのだけれど。
 しかし、昨晩見たあの様は、反省とか後悔などではないように見えた。
 元から怒り以外の感情表現は乏しかったけれど、まるで感情という感情が全て抜け落ちてしまったかのようなあの顔。目の焦点は合っているのに何も見えていないような。
 確かに、今までで一番臨也は傷を負った。あれが手を上げた中で一番酷い暴力が昨晩であったことも間違いない。
 けれど、相手は自分、この折原臨也だ。
 数年前、一度は本気で殺そうとした相手じゃないか。
 そう、臨也は昨晩殺されていたっておかしくはなかった。それほどの暴力であったし、そしてそれでもいいと思ったのだ。
 数年前のあの夜の続きが今であっていいと思った。
 何故なら、臨也はもう逃げないと決めたのだから。己の目の前に辿り着いた“人間”がいたとしたら、正々堂々と相対しようと決めた、――――例えそれが、“人間の部分”しか持ち得ていない“怪物”だったとしても。
 何故なら。何故なら……
 そこまで考えて臨也は緩く首を振る。その考えが結局今回の予定外を生み出し、今臨也はこうしてベッドから動けない状態になっているのだから。
 結果、あの怪物は臨也を殺さなかった。あの夜のような人間の仲間の制止はなかったのに、それでも、殺さなかった。

(それでもまあ、)

 シズちゃん死んで、と零していいほどの痛手を負ったことは間違いない。
 そんな臨也の呟きに、揶揄うような溜め息が降ってくる。

「本当に、本当に君たちは、全く本当に進歩がないね! 全く臨也、君はとても頭のいい人だと思うけれど、こと静雄君に関しては呉下阿蒙と言わざるを得ないよ!」

 今回、坐は別件で動いてもらっているので連れて来れなかった。もしも連れて来れていたら面白いものが見れたと思うし、臨也もこんなことにはならなかっただろう。遥人とひまりも置いてきた。結果それは正しい判断だったし(とはいえあの化け物は子供には弱いから連れていたとて問題はなかっただろうが)、まあこの状況では居ても何の役にも立たない。寧ろ邪魔だった。
 そんな訳で臨也は東京に置いておいた奈倉を呼び出し、そして奈倉は臨也が池袋に来るために施したあれこれを無視して治療のために新羅を呼び出した。
 そして、上の台詞に至る訳だ。

「言いたかないけどね、新羅…。俺だってこれでも、細心に細心の注意を払って出来うる限りの手は打ったんだよ。それに、シズちゃんのコレは…、随分進化してるようじゃないか?」

 コレ、の部分についてはっきり言葉を当て嵌めることを臨也は避けたというのに、新羅は何でもないように、「確かに僕も、同性の同窓生同士の強姦の後始末をすることになるなんて思ってもみなかったよ」なんてさらっと言ってのけるものだから、その単語の破壊力に臨也は頭を抱えざるを得ない。
 そう、強姦だ。今までたくさんの、本当にもう数え切れないほどの、追いかけっこやらナイフと道路標識とのチャンバラやら、片や自動車や鉄骨や重機、片や自販機での潰し合いやら、終いには(けれどいつだって)本気の殺し合いをしたというのに、そういう方向からの静雄の攻撃は初めてだった。
 昨晩あの路地裏で、静雄に見付かった時点で、臨也は半分覚悟を決めていた。
 自分への戒めだと治療を放棄していた脚は、昨晩の会合相手にそんな弱味を見せる訳にはいかなかった都合上、杖がなくとも普通の歩行が出来る程度には少し訓練をしたけれど、つまりはその程度。パルクールなんて当然無理だし、実は走ることだって難しかった。その程度で静雄から前までのように逃げおおせることが出来ないなんてのは、臨也でなくとも誰だって分かることだ。
 逃げないと決めた意志より何より、そもそも逃げられなかった。
 そして臨也と静雄の関係の中で、逃げ切れないということは、そういうことだった。
 それなのに。


 ――あの怪物は、臨也を殺さなかった。あの夜のような人間の仲間の制止はなかったのに、それでも、殺さなかった。


 ――そして、臨也を強姦した。


「…シズちゃんはさ、」

 強姦は元より、それが成されるまでの過程で臨也は相当痛め付けられている。静雄が痛め付けたのだから、その傷は寧ろ無理矢理押し入られた身体の中より酷い。そちらの治療にあたっている新羅に、臨也は問うた。

「シズちゃんにはもう、周りに人が居ただろう? その中で、俺には理解出来ないけれど、あいつを雄として見る人間だって、居なくはなかっただろう? なのにさ、」
「折原君」

 折れた脚に包帯を巻き終わった新羅が、ついと目を上げて臨也の顔を覗き込んでくる。その目の中に、結構な怪我を負っている臨也に対する心配や同情なんてものは欠片も見えず、従ってこんな非人道的な暴力を行った同窓生に対する人間としての憤りも恐れもない。
 変わらず彼の価値観はただ一人に集約しているんだと思うと、臨也の胸に何かの感情が訪れないでもない。しかしそれを、臨也は一生誰かに言うことはないだろう。
 何処か睨むように新羅の目を見返す臨也に、不意に新羅はにっこりと微笑って見せた。

「折原君は、静雄が性的に溜まっていたからこんなことしたと思ってるのかい?」
「…っ、溜ま…っ?!」

 さっきから、この旧友の直接的な物言いは聞いていて毒だ。噎せ返る臨也をけらけらと笑いながら、新羅は今度は臨也の右腕を取り上げて触診を始める。視線は逸れたが、口角の上がったままの口元は構わず動き続けた。
 臨也の方がお喋りに見られがちだけれど、実は新羅の方がよっぽどお喋りだと臨也は思う。

「確かに、君が居なくなってからの静雄君は本当に落ち着いたというか――まあ本来彼は争い事は嫌いだったからね、君が居なくなったおかげで暴れる種もほとんどなくなって、ようやく彼の望む静かな生活が訪れたんだって、セルティが本当に喜んでいてね! だから私も本当に嬉しかったんだけど。だけど、静雄君はね、」


 ――――ずっと、独りだったよ。


 その言葉の中に、何の温度もなかった。ただ事実を、事実として告げている、それだけ。
 証拠に、そのまま更に口はぺらぺらと回り続け、一匹狼なんて言葉があるけどさ、ねえ、あれおかしいよね、狼は群れる生き物なのにさ、どうせ言うなら一匹ツキノワグマが一匹ヒグマじゃない? ああでも僕、君がこんな目に遭うまでずっとツキノワグマの方かなって思ってたんだけど、だってツキノワグマってどっちかって言うと草食系だって言うし、でもこれはヒグマの方だね! 肉食寄りだし、強いし、身体も大きいしね! …なんて喋り続けている。
 だから臨也は全てを聞き流して、ただ、事実だけを頭の中で並べた。


(俺は、あの怪物の人間の部分を見ようともしなかったから負けた)

(あの怪物は、俺を殺さなかった。あの夜のような人間の仲間の制止はなかったのに、それでも、殺さなかった)

(だけど、俺を強姦した)

(その後に見せた、あのザマ)

(俺が消えても、ずっと、独りだった)


 ――――俺は、“人間”を、愛している。


           ***


 一夜明けた次の日、都合良く静雄は休暇だった。
 目が覚めたらとっくにお日様は天辺に昇っていたけれど、荒れ果てた部屋を片付ける時間は十分に取れたことは幸いだった。とてもじゃないが、昨晩のあの有様をそのままにしておくことなんて出来ない。そこかしこに散る様々な痕跡が目に入るたび、ただもう静雄は力が抜けて動けなくなり、何も考えられなくなる。
 なるべく何も目に映さないように、手に触れたものを片っ端からゴミ袋に突っ込んでいく。…どうせもう、何もかも壊れてしまって使い物になんてなりはしない。
 そうこうしている内に夕方過ぎ、上側の蝶番が外れてノブが抜けて金属板も割れた、本来の役割を二度と果たすことは出来なさそうな玄関ドアを無機質にノックする音がして、静雄は振り向いた。
 幽だった。
 幽は何も言わず黙って部屋に上がり込み、真っ直ぐ静雄の元へと足を進めて真っ直ぐ静雄を見上げて、一言、あのひとが来たの、とだけ言った。
 静雄はそんな幽の視線を受け止め切れない。幽の言うあのひと、が確かに昨晩この部屋に居たあの男のことを指しているのは分かっていたけれど、多分恐らく、来た、のではない。静雄自身の手で捕まえて引きずり込んだのだ、…はっきりと覚えてはいないけれど、多分、恐らく。
 口を開こうとしない兄の返事を幽はしばらく辛抱強く待っていたけれど、やがて小さく息を吐いて首を振った。言う。大家さんから連絡が来たんだ。
 それはそうだろう、と静雄は唇を噛むしかない。部屋がこんなになるにはそれ相応の破壊音があったはずで、それにこのアパートの住人含め近隣の人たちが気付かないはずもない。“あの”平和島静雄が此処に住んでいることを周囲がどれだけ知っていたか定かではないが、大家は当然知っている。
 ついでに言うと、保証人は幽だ。
 荒れに荒れたと容易に想像がつく静雄の所に直接出向けなかった大家が、保証人である幽に連絡を入れた、だから幽は此処に来た。
 更に言えば、きっと携帯だって壊れていて幽が電話をしても繋がらなかったに違いない。残骸を見てはいないがきっとそこらに重なるゴミ袋の何処かに紛れているだろう。だから幽は直接出向くしかなかったのだろう、忙しい仕事の合間に。
 そんなことは、幾ら頭の回っていない静雄でも簡単に理解出来た。…だから、やっぱり、唇を噛むしかなかった。
 ねえ兄さん。ちらりと腕時計に視線を落としながら幽が口早に言う。落ち着くまで、俺のマンションに来て、今夜また迎えに来るから。
 その言葉に静雄が是とも否とも応える前に、幽は踵を返して出て行った、またね兄さん、今夜また来るからね、と何度も何度も振り返りながら。
 また独りに戻った夕闇の部屋の中、静雄はただ、沸々と込み上げる苛立ちを、正しくぶつけるべき相手である自分に向かわせ、舌を噛み千切りそうになった。




 夜。
 粗方部屋を片付け終えて、静雄はぶらりと街に出た。
 幽がまた来るとは言っていたけれど、思えば煙草も手元に残っていなくて、気付いてしまえば吸いたくて仕方がなくなったのもあったし、きっと幽もそう早くは来ないだろうという予想もあったし、何より、あの部屋に居たくはなかったし。
 例え昨晩の残骸を全てゴミ袋に突っ込んでみたところで、逆に何もなくなったがらんどうの空間は、いやに静雄の胸を突いた。
 それは。それは何だか、まるで……
 何かが静雄の表層に浮かびかけた、ような気がする。けれどそれは、遠くから近付いてきたバイクの影に意識が逸れたことで掻き消えた。覚えのある猫耳シルエットに静雄がぼんやりそちらを見ていると、間を空けずに漆黒のバイクが静雄の横に滑り込んでくる。

『静雄、此処に居たのか』

 タタタッとPDAを叩き画面を静雄に見せてくる、黒いバイクに跨るライダーも全身黒ずくめ。セルティ。いつだって静雄を気遣ってくれる、心優しい友人。
 ぷかりと銜えた煙草から煙を吐き出しつつ、何かあったのか、とやや緩慢に静雄が首を傾げて見せると、普段なら口頭での会話と大差ないスピードで応えてくれる友人が、少し、困ったように液晶の上で指を迷わせる。
 それだけで、静雄は居たたまれなくなった。彼女は割と何でも知っている。それならば、昨晩静雄とあの男の間にあったことを、それすなわち、折角共に喜んでくれた平穏な生活を静雄自らぶち壊したことを、もう既に知られているのかもしれなかった。
 自然俯いた静雄の横で、またタタタッと指を弾く音がする。

『静雄の家に行ったんだ。でも、居なかったから、どうしたのかと思って』
『心配になって』

 家を見られた。あの惨状を見られた。もうそれだけで静雄にとっては死刑宣告そのものだった。だからその心持のまま、見たのか、とだけ口にする。
 セルティはまた少しの間黙って(PDAを叩く指を止めて)、やがてゆっくりと指を滑らせて、それでも何度か文章を消したりしながら、何度も何度も推敲して、けれど結局、簡潔な一文を静雄に見せた。

『今日、新羅が、臨也の介抱に行った』

 ああ。ああ。やっぱりか。いっそ清々しくすらある気分で、そしてそれはただのヤケクソなのだけれど、静雄は思い切り空を振り仰いだ。
 暗い空だ。まるで昨晩のあの部屋の中のような。寒い夜だ。まるで昨晩のあの部屋の中のような。
 例え昨晩の残骸を全てゴミ袋に突っ込んでみたところで、静雄が壊したものはもう戻らない。
 今までがそうだったように。これからもそうであるように。
 平和で穏やかな日常など何処にもない。静雄は何も得られない。自身の力をコントロールする術すら。弟や、友人の信頼すら。
 池袋の自動喧嘩人形は、簡単に何もかもを壊していく。
 …恐らく生涯唯一だった、己の憎い相手すら。
 一度は本気で殺そうと思った相手だった。あの日のあの闘いで、これまでの全てとこれからの全てにケリを付けようと思っていた。
 それでも静雄が“怪物”に堕ちずに済んだのは。今此処に居る友人や今は此処に居ない友人たち、静雄を心配してくれている人たちみんなのおかげだった。
 その、みんなのおかげで勝ち得たはずの平穏を、静雄はまたあっさりとその手で壊してしまった。
 あの日のような明確な意志や決意もなく。ただ、ただ、“怪物”のように暴走した結果。

『静雄』
『何もお前が気に病むことなどない。心配しなくても臨也は生きてるし、あいつはお前にそれくらいやられても文句を言えた立場じゃない』
『あいつさえ戻って来なければ良かっただけだ、自業自得だ』

 そうやって慰めてくれる彼女だって、本当はずっとあの男の生死や所在を心配してそれとなく探していたことを静雄は知っている。
 それは、もしかしたら彼女のパートナーであるところの新羅がそうだったから、彼のためにしていたことだったのかもしれない。
 勿論それもあるだろう。今、彼女が静雄にかけてくれる言葉にだって多分ほとんど嘘はない。
 嘘はない、けれど。
 少なからず、あの男と関わった者として。新羅を介さないところでも、直接にあの男と関わった者として、恐らく、心配をした気持ちだって、多分嘘ではないのだ。
 この友人は、本当に心優しい人だから。

「――セルティ!」

 不意に背後からかかった声に、静雄とセルティは揃って振り向いた。その視線の先には、白衣を翻しながら駆け寄ってくる新羅。
 あっさりと静雄を素通りして(大体いつものことだ)、セルティに抱き付かんばかりに飛び込んできた新羅は、今日は仕事はないって言ってたのにこんな所で何してるの、だとか、夜に女性がこんな暗い所に居るなんて危ないじゃないか、だとか、セルティの手を握ったかと思えば、少し冷えてるよ早く帰ろう、だとか一頻り大騒ぎした後、宥められたセルティに促される形で静雄の方へ振り返り、ああ静雄君こんばんは、と常と変わらない様子でにっこり笑って見せた。
 こんばんは、じゃないだろう! とカタカタPDAを叩くセルティを横目に、静雄は小さく、寧ろか細いと言っていいような声音で、一言、問う。あの野郎は、と。

「ああ、臨也? 全身打撲と骨折とあと肛門が切れてて……所謂痔、ってやつだね! でも身体の方が痛くてそっちは全然気になってないみたい。それに頭も口も相変わらず良く回ってたから、元気と言えば元気だと思うよ」

 痔? 肛門? と顔がなくても分かり易くはてなマークを浮かべるセルティをよそに、静雄の頬はカッと染まる。
 そうだ。昨晩静雄があの男に振るった暴力は、何も今までの延長線上の殴る蹴る潰すだけではない。それだけだったなら、静雄もここまで考え込むこともなく、セルティが言ってくれたように『自業自得』で割り切れた部分もあったのかもしれない。
 しかし静雄は昨晩、それ以上のことをあの男にやった。それは単なる暴力以上の暴力で、例え相手があのノミ蟲野郎だったとして、赦されることではなかった。寧ろ殺した方がまだマシだったのではないかと思うほどに。人としても男としても、絶対にしてはならない暴力だった。
 ――例え昨晩の残骸を全てゴミ袋に突っ込んでみたところで、静雄が犯してしまったものはなかったことには決してならない。


 苦しい顔をして黙り込む静雄を見やって、新羅は少し目を細めて静雄にきちんと向き直る。まあ確かに、君のやったことは褒められたことじゃないとは思うけどね、と静かに告げながら静雄に歩み寄り、そしてその手を取った。
 そうして手渡された、一枚のメモ。
 メモに書かれた文字の羅列にさっと目を通した静雄は、一瞬、迷った。行くべき所はそこなのか、と。そこではなくて、自ら鉄格子の中に入りに行くことこそ正しい道なのではないか、と。
 しかし、その静雄の考えがきっちり読めたらしい新羅が、別にいいんじゃない、今まで折原君のせいで無実なのに何度も入れられた分先払いしてたってことでさ、ついでにあれって親告罪…本人が言わなきゃどうにもならないし、と言って静雄の肩を押したから、そのままくるりと身体の向きが変わってしまう。メモに書かれた行く先の方へ。

「…セルティ」

 行くべき方向を睨み付けながら、静雄は優しい友人の名を呼んだ。すぐにタタタンと、静雄の呼びかけに応える言葉が、更に連なって心配する言葉や、何処かに行くなら送って行くというような言葉がかけられているのを背中越しに感じながら、けれど静雄は振り向かずに言った。

「幽に、伝えといてくんねえか。今日は戻らないから、また連絡するって」

 言うやいなや、静雄は全速力で駆け出していた。

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