忍者ブログ

* それはとても、晴れた日で *

かきたいときに、そのときかきたいことを無節操に。

[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

【ジョジョ三部】end of THE WORLD【六部太郎さんの三部回想】
PCがお逝きになられてから随分経ちますが、まだ新しいのゲットできておりません。
いや、普段のネットサーフならスマホで十分になっちまった時代のせいだね。
そんなこんなですっかり筆不精、基本ROM專に逆戻りしていた日々ですが、・・・ついね、うっかりね、またもアニメからの~で太郎さんに惚れ込んでしまってね・・・
ちなみに世間はGWですがわたしは仕事と相成ったので、せめてもの反抗で会社に行かなくても済むように会社のノートを持って帰ってきたら、そしたら全然関係ないことしててびっくりした。(でもちょっと確信犯)

六部太郎さんが三部のことをあれこれ思うおはなし。当然ですが三部も六部も(ちょっと四部も)ネタバレ。







 空条承太郎は、あれからもたくさんの世界を回った。
 あの旅で見た国々など、それこそ世界のほんの一部だった。それを、知った。


 それでも、あの旅以上には、決して世界は広がりはしなかった。






 それはそうだろう。
 あの旅に出るまで、自分はごくごく平凡な日本の高校生で(“平凡”の基準が世の中の平凡とかけ離れていることを承太郎は理解していない。何せ承太郎にとってはそれが産まれついての“普通”であり“当たり前”であったのだから)、母がアメリカ人でその実家がNYにあったことや、父が海外を飛び回る仕事をしていたおかげで、幼い頃から海外には確かに良く行っていたが、それも単なる旅行である。旅行は旅行であるからして、それが国内だろうと国外だろうとそこに大きな差は(承太郎にとっては)ない。
 たとえば、自宅の庭で花開いた桜を美しいと思うのと同じように、ナイアガラも美しいと思った。東京タワーは幼い自分には酷く大きく見えたのと同じように、エッフェル塔も大きいなあと思った。七夕の夜にくっきりと夜空に流れた天の川に驚いたのと同じように、オーロラにも驚いた。それが承太郎を取り巻く“当たり前”の世界だったのだ。


 その狭さと小ささを、承太郎はあのエジプトまでの旅で知った。


 スタンドという、初めは自分でも手を焼いた、もう一人の自分。
 とんでもねぇ悪霊に憑り付かれちまったと引きこもってみたのも束の間、己と血の繋がった祖父のみならず、全く知らない他人ですらその悪霊を使役し、従え、ほんの一時でも承太郎を圧倒して見せた。その時既に不良のレッテルを貼られて久しく、売られた喧嘩は迷いなく買って呆気なくぶちのめして来た承太郎にとって、それは初めての経験だった。
 そこからは急展開。喧嘩どころか命を狙われ、そして母の命を脅かすものの存在を知り。迷うことなく足を踏み出した承太郎とジョセフの隣に、同じように足を踏み出した人間が居たことに――それも一人ではなく二人も、そして最後には三人と一匹になるなんて――、承太郎は驚いた。
 あの時足を踏み出したうちの一人、花京院はいつだったか語った、産まれつきスタンドが見えていた自分にとって周囲との関係は築きがたく、今まで友人など一人も居なかったと。それは、前提や経緯は違えど、承太郎も同じだった。いつだって家族以外の周りは騒がしく、承太郎の邪魔ばかりする。やかましい、うっとーしいといくら言っても通じない。言葉が通じない人間と関係など築けるわけもなく、承太郎もそれまで友人らしい友人など居なかったのだ。
 だから、それこそその時点では友人と呼べるほどの仲でもない、また自分の母ともそれまで何の関わりもなかった、全くの他人が、なぜ自分の母の命を救う旅に当然のように同行するのか(アヴドゥルはそれ以前にジョセフと友人だったらしいが、それにしたってその関係の長さを考えれば動機にはとても満たない)。己の命まで賭けて。
 それぞれにその理由を問うた結果、なるほどな、とそれは承太郎の腑に落ちた。そうして気付いた、自分の腑に落ちるということはそれは感性の共有であり、こいつらは言葉どころか自分の心まで通じるのだ、と。
 そんな“友人”たちと時間を共有し、時に会話を重ねるのは、一瞬の気の緩みも許してくれない旅の中であっても、とても、楽しかった。



 アヴドゥルは、ジョセフを除いた若者連中の中で一番の年かさであった。最初は年齢に見合った落ち着きある対応をする男であったが、時間を重ねるにつれ、自身のスタンドと同じ熱さを見せるようになった。ポルナレフと仲違いの上に一時離脱を余儀なくされそして復帰した後は、特にそれが顕著になった。
 常に騒がしいポルナレフにうるさいと怒鳴る声の方がうるさいことなど数知れず、移動中や夜の休息時間にたまにカードゲームに興じれば、誰よりも勝敗に一々大騒ぎしていた(そして良くジョセフや承太郎のいいカモになってくれた)。
 とはいえやはり年長者らしい面も当然あり、最初は少しばかりスタンドの制御がうまくなかった承太郎にその操縦方法を教えてくれたのは彼だったし、そもそも承太郎の半身に名を授けてくれたのも彼だ。今にして思っても、美しい名を与えてくれた彼にはとても感謝している。
 占い師という職業柄か会話もうまい男で、酒が入るとくどくなるジョセフの相手を良くしてくれていた。そしてそれは決して迷惑などではなく、ジョースターさんほどの経歴と見聞のある方と話すのはとても楽しいのだと、大きく笑ってくれた。ジョセフもアヴドゥルと酒を酌み交わすのが旅の中で一番楽しくリフレッシュ出来る時間だったのだろう、少しの時間を見付けては良くアヴドゥルを酒場に誘っていた。
 勿論、承太郎たちとも良く話をした。承太郎もジョセフも、妹の仇を探すために世界各国を旅していたポルナレフも、割と良く家族で海外旅行に出かけていたらしい花京院も、向かっているアフリカ方面には余り訪れたことがなかったので、彼に事前に聞くそれぞれの地域のカルチャーの話は驚きと面白さに富んでいた。そして大抵、その期待が外れることはない。エスコートも上手だった。
 スタンドやスタンド使いに対して非常に明るく、魔術師の赤による戦闘は勿論のこと、その情報には何度助けられたことか。
 熱く、どこまでも正しさを貫く男だった。そう、自分の安全を第一にと言いながら、結局は仲間を庇って逝ってしまったその最期のように。


 ポルナレフは陽気な男だった。DIOの手先として現れた時には、アヴドゥル同様その従えるスタンドのように騎士然とした誇りと彼なりの美学で固められていたが、一度互いの懐を許し合ってしまえば、まるでフランス人ではなくステレオタイプのイタリア人のような明るさと情熱を発揮し、常に気を張り詰めておかざるをえない道中を程良くほぐしてくれた。
 承太郎や花京院より多少歳が上であったが、とはいえアヴドゥルほど離れているわけでもなく、また本人のそんな性格もあり、承太郎も花京院も歳の近しい友人のように接せられたし、ポルナレフも同じように承太郎たちに接してくれた。
 直情的で暴走することも多々あったが、それでも承太郎は、そして他の三人だって、そのストレートな彼の心をとても好ましく思っていた。
 そして、普段がそうであったとしても、やはり彼は騎士であった。出会ったその時に見せた誇りも美学も彼の中に通る信念であり、闘いに立つその姿はいつ見ても美しかった。
 ポルナレフはジョセフを除いて唯一、あの旅で得た友人の中で唯一、生き残ってくれた。別れの時に彼が言ってくれた言葉が、今でも承太郎を救い、慰めてくれていることを彼はきっと知らない。


 ――――みんながいたからこの旅は楽しかった。


 闘いは終わっても、それで失わずに済んだものがあっても、それでも、戻って来ないものが多すぎる終わりであった。失わずに済んだものは全てジョースターに関わるものであり、戻って来ないものは本来であればそれとは無関係であるはずのものばかりだった。
 始まりから終わりまで全てがジョースターの因縁、それに巻き込まれて失われたものを思えば、その言葉は承太郎にもジョセフにも言えなかった言葉であった。そんなことを思うことさえも躊躇っていたのだ。
 けれど、彼はそれを口にしてくれた。本来であれば無関係であったはずの彼が(妹の仇がDIOの手下だったという、結果だけ見れば他の彼らより多少の関わりはあったが)。
 その言葉が、承太郎にとってもジョセフにとっても、どれだけ嬉しかったことか。
 失われた彼らがそれぞれDIOに思うところあり、それぞれの理由で闘いに臨んだことは知っている。分かっている。それでも感じずにはいられない罪悪感と哀しみと後悔を、彼はそうではないと言ってくれたのだ。
 その後も交流は続いたが……それは結局、彼をずっとあの旅の延長に巻き込み続けたのと同じことだ。彼自身は乗りかかった船だと、いつも陽気に笑っていてくれたけれど。
 ある時からポルナレフと連絡が付かなくなった。ちょうど厄介な調べ物をしている最中だった。すぐに手を回したが、……結局、彼とはそれきりになってしまった。
 彼の姿が最期に在ったのはローマだと聞く。そしてその前後、ローマではあのDIOの息子が関わる大規模なスタンド事件が発生したらしい。それが全てであった。
 当然、哀しい思いも悔しい思いもある。それでも承太郎は思い出す、「みんながいたからこの旅は楽しかった」。
 承太郎は今でも、彼より誇り高く真っ直ぐな男を知らない。


 ポルナレフといえばイギーだ。
 両者決して認めたがらなかったけれど、イギーは誰よりポルナレフに懐いていたし、ポルナレフは誰よりイギーを可愛がっていた。
 出会ったその日に大事な学帽にコーヒーガムを付けやがったクソ犬。けれど、その決して媚びない姿勢に承太郎は感嘆したのだった。可愛いとは、終ぞ思わなかったけれど。
 思えば、彼の気まぐれに何度も助けられたような気がしないでもない。勿論彼は助けようなどという殊勝な精神はなく、動物らしく本能のままに行動した結果がたまたま承太郎たちの助けになっただけ、つまりそれはあの旅の面々が運の良い者たちだったとも言える。
 けれど、しかし、承太郎は思うのだ。賢かった彼を思い出して思うのだ。動物らしく本能のままに行動するフリをして彼は、ほんの僅かな気の緩みや闘い慣れた敵が突いて来た隙を、少しばかり手助けしてくれたんじゃあないのかと。
 ポルナレフが語ってくれた彼の最期を聞いて、承太郎はそう思うのだ、今でも。


 ――そして、花京院。
 花京院は、アヴドゥルとジョセフが特に馬が合っていたように、ポルナレフとイギーが特に心を開き合っていたように、承太郎にとって特に親しい友人であったと思っている、花京院の方もそう思っていてくれたと思っている。
 何せ歳が近かった。同じ日本人のガクセー同士であった。他の彼らには説明を要する話でも花京院にそれは不要、そんな彼との会話が承太郎は一番楽しかった。相撲が好きというなかなか同年代の人間とは合わない好みまで合ったのだ。
 彼とは、ガクセー同士ということでホテルの部屋割りや買い出しや何やらと人数を分けるときにペアになることも多かったので、特に一番共に時を過ごし、たくさん話をしたと思う。いや、花京院は基本物静かな男で承太郎も余りいつまでも長くベラベラと喋るのは好きではないから、傍から見たらそう多く言葉を交わしているようには見えなかったかもしれない。
 けれど、たとえば承太郎と花京院は、移動中に読むために持ち歩いている本を良く互いに交換したりした。移動中の車内やホテルの部屋で互いが互いに借りた本を読んでいる間、そこに一言も会話はない。それでも承太郎は本を通じて花京院の好みを知ったし、それは花京院も同じだっただろう。
 そして、花京院は冷静で理知的、アヴドゥルとは違った意味で物知りな男でもあった。冷静な判断は怠らないけれど情にはとても厚く、旅の仲間への気遣いを常に忘れない。女性への対応もスマートで承太郎とは違いうまく穏やかに場を収めることが出来る。とにかく、承太郎にとって花京院とは、非常に好ましい男だったのだ。
 承太郎もジョセフも、アヴドゥルもポルナレフも、何だかんだとみな激情型で、すぐ突っ走る。そんな中いち早く彼は自分の役目を察知し、それに徹した。承太郎と一緒でスタンドとの戦闘はあの旅が初めてであったはずなのに、その洞察力と頭の回転の速さは承太郎の最大の信頼を預けるに足るものであった。
 だからこそ。だからこそ、旅の終わりのDIOとの闘いの最中で彼を最期を聞いた時は、承太郎には全く信じられなかったのだ。DIOが自分の動揺を誘うために嘘を言っているとしか思えなかった。
 けれど、DIOの戦闘力とスタンド能力を目の当たりにし、承太郎の目の前で、特に修羅場慣れしていて特に狡猾であったジョセフがあっという間に倒れるのを見て。その言葉は、じわりじわりと承太郎に信憑性をもって沁み込んでいった。
 あの朝、SPW財団に回収される花京院の遺体を見た。腹にどでかい穴を開けて、穴の向こうに朝陽が昇る美しい空が見えた。
 血も臓物もその命も流れ落としてしまった花京院の真白い顔は、けれどひどく穏やかで、誇らしく、安らぎに満ちていた。
 今まで友人など一人も居なかったのに、それが一気にこんなにたくさん出来て嬉しいと、いつかの夜に彼が言った言葉を承太郎は思い出していた。
 彼の最初で最期の友人になれたことは、承太郎にとって一生の誇りとなったのだった。






 承太郎は思い出す。
 己と、ジョセフと、アヴドゥルとポルナレフと花京院、イギーと見た全ての景色を思い出す。
 優雅に飛行機なんていう快適で無粋な鉄の塊に乗れたのは最初だけ、船で、車で、列車で、動物の背で、徒歩で、世界の空気を肌に受けながら歩いた50日間の景色を思い出す。
 法王の緑のように美しく煌めいたエメラルドグリーンの海原、魔術師の赤のように熱く燃え盛る太陽、銀の戦車のように煌々と気高く輝く月、隠者の紫のようにその姿を地平線に消しても空に妖しく微かに光を残す夕焼け、愚者のように吹く風によって様々な模様を描いていく砂、そして一面の大空に数えきれないほどに瞬いた星の白金のような星々。
 異国の地の見慣れない建物、初めて食す味、せいぜいTVか教科書でしか知らなかった民族衣装、肌の色も瞳の色も様々で、それでも雑多に群れながら大きな生命力を歌い上げる人々。
 果てしなく広がる大地、果てしなく広がる空、果てしなく広がる砂漠。
 昼日中の肌を灼く熱風、夜になると途端に凍える冷たい空気。



 それは『世界』だった。
 そしてその『世界』は、DIOの死とそのスタンドの死によって、終わりを告げたのだった。



 承太郎は、終わった『世界』でそれでも生き永らえて来た。
 けれど思っていた、きっと終わりはそう遠くないうちにやって来るのだろう、と。
 この先、また大切なものが見付かるかもしれない、いやきっと見付けてしまう、それを護るために慈しむために愛するために、己は強さを忘れてはならない。
 けれど、だからこそきっと終わりはその大切なもののために。……彼らと同じように。






 ――――そして終わりはやって来た。徐倫。ただ、それだけのことだ。






           ***



 承太郎は現実主義者だ。人は死ねばただ土に還るのみだと思っていた。しかしそれも、10年ほど前のとある街での経験で覆された。
 そもそも自分がまだ高校生だった頃、初めて目にした自分のスタンドを前にして「悪霊だ」と信じて疑わなかったのだから、承太郎の現実主義というものも少しずれているのかもしれない。まあ、波紋だスタンドだという何も分からない人からしたら摩訶不思議な現象を当然のものとして受け止めていること自体、それはもういわゆる一般的な現実主義とはかけ離れているのだろう。
 しかし現実主義とは、現実に即して物事を考え、判断すること。スタンドも幽霊も、承太郎の人生には現実に起こったことだ。つまり、その存在を加味して考えることと承太郎にとっての現実主義は何も相反しない。
 だからつまり――――こういうこともあるのだろう、と、承太郎が目の前の光景を受け入れるのは早かった。






 目の前で。いつか泊まったホテルのロビーのような空間で。

 「こらイギー、暴れるんじゃあない! 折角のお茶が零れてしまうだろう!」

 赤い衣装を纏った男ががたがた揺れるテーブルを押さえていて。

 「イギー! イギー!(うるせぇよアヴドゥル! 俺は今走りたいんだその手を離せ!)」

 その男の膝の上で押さえ付けられている小さなボストン・テリアが大暴れをしていて。

 「まぁまぁアヴドゥルさん。イギーも久し振りに承太郎に会えて嬉しいんじゃあないですか」

 今時見ない緑色の長ランを靡かせた男が穏やかに笑っていて。

 「何言ってんだよ花京院よぉ。こいつがそんなタマかぁ? いいからほっといて、まあ全員揃っちまったんだ、いつかの続きのポーカー、決着付けようぜぇ!」

 銀色の髪を逆立てた男が陽気に声を上げて。

 「おお、ポルナレフにしては良いアイディアじゃあないか! ほれ承太郎、いつまでもそんなとこ突っ立ってないで、こっちに来て早く座れ!」

 承太郎と同じ緑の瞳と今は服の下で見えない星形の痣を持った老人が、さあカモってやるぞとニヤリ笑って承太郎を呼ぶ、その光景を。






 承太郎にとっての『世界』は、あの日あの時あの朝に、止まってしまっていた。
 一瞬の気の緩みも許されない旅路だった。己の命も、仲間の命も賭けざるを得ないような旅路だった。
 そうして捧げられた仲間たちの命を悔やむ余り、それから得た大切なものを、なるべく己の存在から遠ざけることしか出来なかった(けれど結局はその血統の運命から切り離してやることが出来ず、その大切な存在は今もきっと闘っているのだろう、多分敵いはしないだろうが。それでもその心は、魂は死することなく、きっとあの神父を討ち滅ぼすと信じている)。
 あれからもたくさんの出会いはあった。馬鹿な祖父のおかげで、年下の叔父なんていう世にも奇特な血縁関係も増えた。彼らの運命をほんの少し手助けした日々もそれなりに楽しかった。
 それでも、あの日々に見た海を、太陽を、月を、空を、砂漠を、星を、それを超える出会いなどどこにもなかったのだ。
 承太郎は、被っていた帽子の鍔をぐいと引き下げた。一歩、足を踏み出す。それだけで十分だった。
 「……やれやれだぜ」






 ――――そして、時は動き出す。






************
実際はこの時点でポルちゃんとおじいちゃんは生死不明なのですが(Wikiによるとおじいちゃんはボケつつも生きてるかもしれないらしい)、そこは創作ということで一つ。
当然のごとくわたしは花京院を一番愛しています(今のアニメの中の人込みで)。
腐った場合のCPは承花一択です。

拍手

PR

コメント