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・・・というよりか、時代的にも発表的にもこっちのが後なんだけど、
今更見てみたシリーズ、今回は「ハーモニー 」の映画版(2015)。
原作自体は大分前、虐殺器官とセットで買って読んでたから・・・何年前?
買った本屋さんの光景を思い出す限り、恐らく4、5年以上は前かな?
で、「虐殺器官」でどっぷり伊藤氏の世界観にハマって、そのままぶっ続けで読んだのですが。
――――最初はさっぱと意味が分かんなかったw
とゆか、登場人物の名前の読み方が難しくて(トァンとかどうやって発音すんの?的なw)、でもそれってちょいちょい挟まるHTML言語的な表現と一緒できっと作者の狙いとゆーか世界観表現の一種なんだろうけど、イマイチ噛み砕きにくかった印象でした。(そして映画版を観て普通に「トアン」って発音すんだーって)
で、映画版。
公開された時に観に行きたかったけどタイミングを逃し、今。
ちょい百合要素がクローズアップされてたので、こんな話だったかな?と思いつつも、原作読んだ時にさっぱと~と思ってた部分が(名前もそうだし、脳関係の話とか)映像で観たらすっと入り込めたり、原作ラストのトァンの心の動きに結構着いていけなかったのですが、こっちの解釈なら割とすとんと来たり。←勿論原作と解釈は違うけど
「わたしの好きだったミァハのままで居て…!」
「愛してる、ミァハ」
ここは凄い良かった。
原作だと、キアンとパパの復讐でトァンはミァハを撃つ。ミァハの望む世界にミァハを行かせないことが復讐だと言って。
でもそれまでのトァンの心の流れで、2人を殺されたことへの復讐心をトァンが持つというのがどうもしっくりこなかった。しかも相手はあのミァハ。
しかもここに来るまで何度殺してやろうかと考えた、と。正直、そんな急にwwwな展開。
映画版だと、恐らくだけど、↑の台詞の前段部分も加味するに、トァンはずっと世界に対して生き辛さ・息苦しさを感じていて、その部分でミァハと共感して心酔していたのに、ミァハは違った。変わってしまった。
わたしがわたしだけのものであることを望んでいたのに、今のミァハがやろうとしていることはその真逆。
多分それが、そんなミァハが、トァンは受け入れられなかった。認められなかった。そして↑の台詞に繋がる、と。
そんなこんなで、映画観た後原作もう1回さーっと読み返しました。
んー、結局やっぱりラストのトァンの心の動きは理解し難かったけど、結局トァンは、中途半端なところをふらふらしているので折り合いをつけられていたのかな、と。
螺旋監察官として色んな紛争地域に行って、そこで色んなもの(薪のように積まれた腕や脚とか)を見て来たとはいえ、高校生のあの日から、結局、‟死‟はトァンから遠かった。
だから近しいキアンやパパ、世界に広がった死に対して、復讐とか、死ななくてよかったっていう怒りを持ったのかな。
いや、周囲を巻き込まず2人だけで逝きたかったのかもしれないなー。
んー、モヤモヤ。
けどまあ、大事なこと?は、恐らくこのハーモニーの世界は虐殺器官の後の世界の話だろうと推察出来ること、そして虐殺器官は‟虐殺文法‟によって(恐らくこれも脳に影響系)世界はバッドエンドとなり、ハーモニーは‟ハーモニー・プログラム‟によってハッピーエンド(読者的にはメリーバッドエンド?)と、真逆の結果を描いた、ということ。
どちらも結局手法は、「脳への直接の働きかけによって他者を操る(全世界規模)」なわけであって、それで真逆の結果を提示してみせるのはすげー面白いと思うのです。
紆余曲折あったようですが、次は「虐殺器官」の公開!!!!今週末楽しみ!!!!
今更見てみたシリーズ、今回は「ハーモニー
原作自体は大分前、虐殺器官とセットで買って読んでたから・・・何年前?
買った本屋さんの光景を思い出す限り、恐らく4、5年以上は前かな?
で、「虐殺器官」でどっぷり伊藤氏の世界観にハマって、そのままぶっ続けで読んだのですが。
――――最初はさっぱと意味が分かんなかったw
とゆか、登場人物の名前の読み方が難しくて(トァンとかどうやって発音すんの?的なw)、でもそれってちょいちょい挟まるHTML言語的な表現と一緒できっと作者の狙いとゆーか世界観表現の一種なんだろうけど、イマイチ噛み砕きにくかった印象でした。(そして映画版を観て普通に「トアン」って発音すんだーって)
で、映画版。
公開された時に観に行きたかったけどタイミングを逃し、今。
ちょい百合要素がクローズアップされてたので、こんな話だったかな?と思いつつも、原作読んだ時にさっぱと~と思ってた部分が(名前もそうだし、脳関係の話とか)映像で観たらすっと入り込めたり、原作ラストのトァンの心の動きに結構着いていけなかったのですが、こっちの解釈なら割とすとんと来たり。←勿論原作と解釈は違うけど
「わたしの好きだったミァハのままで居て…!」
「愛してる、ミァハ」
ここは凄い良かった。
原作だと、キアンとパパの復讐でトァンはミァハを撃つ。ミァハの望む世界にミァハを行かせないことが復讐だと言って。
でもそれまでのトァンの心の流れで、2人を殺されたことへの復讐心をトァンが持つというのがどうもしっくりこなかった。しかも相手はあのミァハ。
しかもここに来るまで何度殺してやろうかと考えた、と。正直、そんな急にwwwな展開。
映画版だと、恐らくだけど、↑の台詞の前段部分も加味するに、トァンはずっと世界に対して生き辛さ・息苦しさを感じていて、その部分でミァハと共感して心酔していたのに、ミァハは違った。変わってしまった。
わたしがわたしだけのものであることを望んでいたのに、今のミァハがやろうとしていることはその真逆。
多分それが、そんなミァハが、トァンは受け入れられなかった。認められなかった。そして↑の台詞に繋がる、と。
そんなこんなで、映画観た後原作もう1回さーっと読み返しました。
んー、結局やっぱりラストのトァンの心の動きは理解し難かったけど、結局トァンは、中途半端なところをふらふらしているので折り合いをつけられていたのかな、と。
螺旋監察官として色んな紛争地域に行って、そこで色んなもの(薪のように積まれた腕や脚とか)を見て来たとはいえ、高校生のあの日から、結局、‟死‟はトァンから遠かった。
だから近しいキアンやパパ、世界に広がった死に対して、復讐とか、死ななくてよかったっていう怒りを持ったのかな。
いや、周囲を巻き込まず2人だけで逝きたかったのかもしれないなー。
んー、モヤモヤ。
けどまあ、大事なこと?は、恐らくこのハーモニーの世界は虐殺器官の後の世界の話だろうと推察出来ること、そして虐殺器官は‟虐殺文法‟によって(恐らくこれも脳に影響系)世界はバッドエンドとなり、ハーモニーは‟ハーモニー・プログラム‟によってハッピーエンド(読者的にはメリーバッドエンド?)と、真逆の結果を描いた、ということ。
どちらも結局手法は、「脳への直接の働きかけによって他者を操る(全世界規模)」なわけであって、それで真逆の結果を提示してみせるのはすげー面白いと思うのです。
紆余曲折あったようですが、次は「虐殺器官」の公開!!!!今週末楽しみ!!!!
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