忍者ブログ

* それはとても、晴れた日で *

かきたいときに、そのときかきたいことを無節操に。

[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

【BR二次】ぼくのかみさま【慶時】
だってほら、川田さんと七典だけじゃ不公平じゃない?!(…)
大好きノブさん。なのになぜかマザコン全開。







 国信慶時の一番最初の記憶は、自分を見下ろすたくさんの丸い目だった。
 今から思い返せばそれは、ベビーベッドに寝かされた赤ん坊の慶時を興味津々に覗き込む慈恵館の子供たちだったのだけれど、その時は酷く恐ろしい光景に見えて――いや、単純に赤ん坊というものは眠りから覚めたらとりあえず泣くものなのかもしれない、その後も慈恵館に時々赤ん坊がやって来たが、大体みんなそんな感じだった――まあとにかく。
 ぎゃんぎゃんと大泣きする自分を、柔らかくて温かい腕が優しく抱き上げてくれたのを慶時は今でもまだ憶えている。
 多分良く晴れた日だったのだろう、抱き上げてくれた人の背後から射す陽射しが逆光となってその人の顔は見えなかった。もしくは見えていたのかもしれない、ただ憶えていないだけで。
 けれど例え見えていなくても憶えていなくても、その人が誰なのか慶時は知っている。


          ***


 母親だとか、父親だとか、家族だとか。
 産まれてすぐに捨てられた慶時はそんなものの存在は知らなかったし、慈恵館の環境が当たり前だと思っていたはずだったのに、何故なのかいつからか、それが“ふつう”ではないのだと知ってしまった。それはサンタクロースが実在しないということを知るより早かったと思う。
 おかあさんてなあに、おとうさんてなあに、おにいちゃんてだれ、おねえちゃんは? 幼い慶時は誰彼構わずそんなことを聞いて回っていた。幼稚園の先生はその度同情に顔を顰めたし、近所の噂好きの主婦たちは困った顔で慶時を追い払ってはひそひそと後ろ指を指した。慈恵館の慶時より年上の子供たちはある子は泣き出しそうな顔をして、ある子は知らないと憎しみも露わに慶時を邪険にした。
 聞いてはいけないこと、そう慶時が思い知るのにさほど時間はかからなかったと思う。そしてその時にはもう、慶時の周りには誰も居なくなっていた。
 何も知らない時は幼稚園や公園で他の“ふつう”の家の子と遊べていた。今にして思えば、“ふつう”の家の親たちはそれを本心では快く思っていなかったに違いない、慶時が“ふつう”を知ってしまって、そして誰彼と聞き回り始めるとすぐに自分の子供たちを慶時から遠ざけた。幼稚園でも、口を開けばすぐにおかあさんてなあに、と言い始める慶時に、子供たちは本能的に“異質”を感じ取ったのだろう、あっという間に慶時を拒否するようになった。
 聞いてはいけないことを聞いたから。…自分が、“ふつう”じゃないから。そうして慶時は、何も知らなかった頃のように無邪気に人に接することが、出来なくなってしまった。


 慈恵館の庭には、一本の大きな大きな銀杏の木が植わっている。話によると、園長先生が慈恵館を始めた時既に立派な大木だったらしい。そこから考えても何十年とそこに在り続ける大木は、小さな慶時が十人手を繋いで囲ったって一周出来ないほどの太さの幹を持っていたから、いつしかその幹の裏側が慶時の居場所となっていた。
 幹の裏側で、落ちている小枝で地面に絵を描いたり、たっぷりと葉を付けた枝の隙間から見える空をただぼんやりと眺めたり。雨だって凌いでくれたから、雨の日は目の前の塀を這うかたつむりをただただ目で追っていたりした。
 そんな日々がどれだけ続いていたのかは慶時は良く憶えていない。一週間だったかもしれないし一ヶ月だったのかもしれない。とにかくある日(その日も雨が降っていた)、その慶時の秘密基地とも呼べる場所に、来訪者があった。
 「慶時くん。ここで何してるの」
 突然背後からかけられた声に慶時がびっくりして振り向けば、ピンク色の傘を差した彼女が、幹の向こうからひょっこりと顔を出していた。
 何してるの、と問われたところで、慶時は答える言葉を持っていない。強いて言うならば夕食まで時間を潰していた、というところなのだが、とにかく慶時は、自分が何か言葉を発することでまた人に嫌われるのかと思うと怖かった。もう誰にも嫌われたくなかった、…特に、彼女には。
 彼女を見上げたまま特徴的な大きく丸い目を右往左往させて口をぱくぱくしている慶時に頓着せず、彼女は幹の向こうから姿を現して、そのまますとんと慶時の隣に腰を下ろした。雨が降り、ぬかるんだ地面に。
 汚れてしまう、咄嗟に思ってそれを言おうと思うのだけれど、やはり恐怖が慶時の言葉を奪っていた。思い返せばその頃、慶時は一日中誰とも口を利かない日々が続いていた。朝の挨拶、食事の挨拶、就寝の挨拶など、慈恵館で決められていてみんなで揃って言う言葉は言っていたけれど、それもほとんどは口を動かすだけ、声なんて蚊の鳴き声ほども出ていなかったと思う。
 困ったように見上げる慶時に、彼女は傘を差しかけながらお尻冷たくないの?と更に声をかけてきた。
 それが、あんまりにも普通で、あんまりにも優しい笑顔だったから。こみ上げる涙をそのままに慶時は座り込んだ膝小僧に顔を埋め、今度は恐怖ではなく涙で出ない声を補うために、小さく首を横に振った。
 すると、そう、というまたも優しい囁きと共に慶時の湿った髪を温かい手が撫ぜて来て、もう、そこで慶時は限界だった。
 気が付けば彼女にしがみ付いてわあわあ泣き叫んでいる慶時を、彼女は黙って抱き締め、髪から背中をゆっくりと優しく何度も何度も撫ぜてくれた。傘はとっくに彼女の手を離れていて、いくらたっぷりと葉を付けた大木の枝が守ってくれていたとしても多少は濡れている慶時を胸に抱く彼女はあっという間に濡れてしまって、そもそも慶時の涙と涎と鼻水で彼女の胸元はぐちゃぐちゃだ。
 それでも彼女は、慶時と同じようにゆかるんだ地面に座り込んで慶時と同じに尻を汚し、慶時と同じように雨に濡れ、慶時の涙をその胸で吸い取ってくれた。
 「慶時くん」
 爆発的な衝動がようやく収まって来て、それでも未だしゃくり上げている慶時に、彼女は優しくそっと、言葉を注いだ。
 「おかあさんは、わたし。おとうさんは、わたしのおとうさん。おにいちゃんは、ここに居る男の子たち。おねえちゃんは、女の子たち。あ、慶時くんより年下の子は、おとうと、いもうとって言うのよ。…ね? ここが慶時くんのお家で、ここに居るみんなが慶時くんの家族なのよ」
 うん。慶時が彼女の胸元で頷くと同時に、声が零れた。それは、とてもとても久し振りに誰かと交わした会話だった。
 慶時は憶えている。まだ自分が小さな小さな赤ん坊だった頃、ベビーベッドの上、眠りから覚めて今と同じように大泣きしていたら、柔らかくて温かい腕が優しく優しく抱き上げてくれたことを。その彼女の腕を、今と変わらない温かな胸元を。
 「さあ、風邪を引かない内にお家に帰りましょう。…秋也ちゃんが、随分寂しそうだったわ、最近慶時くんが遊んでくれないって」
 帰ったらお風呂を沸かしてアヒルさんを浮かべてあげるから、一緒に入ってあげてね。当たり前のようにそのまま慶時を抱っこして彼女は歩いていく、…彼女が“ここがあなたのお家”と呼んだ場所へ。そうしてその玄関先では、小さな黄色い傘を差した七原秋也が心配そうな顔で立っていた。
 しゅうや、と小さな声で呟く慶時に、彼女は綺麗に笑って言ってくれた、ね、あなたはひとりぼっちじゃないでしょう、と。


 翌日、雨と泥と慶時の涙やら鼻水やらでクリーニングに出さざるを得なくなったセーラー服の代わりに、彼女は学校指定のジャージを着て登校していった(替えがなかったからだと後になって分かった、そんな余裕はなかったのだ、自分たちの制服もお古だったのだから)。
 “ふつう”じゃないかもしれないけど、ちっとも恥ずかしくないわよ。そう囁いて雨の上がった気持ちの良い快晴の朝に飛び出していく彼女は、慶時には本当に本当に眩しく映ったのだった、そう、もういっそ神々しいほどに。




 だから。




          ***


 「ぶっ殺してやる!」
 あれからもう少し大きくなって、慶時は自分が不倫の末に産まれた子供で、本当の父も母も自分をいらないと言ったのだと知った。当然ショックだったし、遊戯室でみんなが夢中になって観ている恋愛ドラマなんてとてつもなくつまらないものになってしまった。
 それでも何とか腐らずに居られたのは、あの日の彼女の言葉があったからだった。彼女の温もりを憶えていたからだった。
 だから。なのに。それなのに。
 「殺してやるぞ、ちくしょう!」
 彼女は、慶時にとって母親だった。血も繋がっていない、それなりに性教育を受けた今なら分かる親子と言うには少しばかり足りない歳の差(歳の離れた姉弟が妥当だ)、それでも、あの日あの時彼女が言ってくれた、「おかあさんは、わたし」。だから彼女は慶時にとって母親だった、家族だった。
 「殺してやる!」
 今でもすぐに思い出せる。慶時がこの世に産まれて一番最初の記憶、柔らかく優しい腕、温かな胸の中。あの雨の日、替えのない制服が汚れることを厭わずに、ぬかるみに座り込んで慶時と合わせてくれた目線、抱き締めてくれた腕、涙を吸ってくれた胸。それからも、落ち込むことがあれば励ましてくれたし、学校行事でお弁当が必要な時には必ず一人一人の好きなおかずを一品ずつ入れてくれたし、時には叱られもしたけれど、それ以上にたくさん褒めてくれた。
 彼女以上に優しい人を慶時は知らないし、彼女以上に美しい人を慶時は知らない。中川典子を好きになったのも、なれたのも、どことなく典子が彼女に似ていたからだと今なら思う。
 「殺してやる殺してやる殺してやる!」
 神様だった。彼女は、慶時にとって神様だった。血の繋がりのない彼女と自分たちを、本当の意味で家族と呼んではいけないのなら、本当の意味で「おかあさん」と呼んではいけないのなら、ならば彼女はそれでも自分たちを愛してくれた神様だった。
 そんな彼女に暴力を加えた目の前の男を、あまつさえそれをへらへらと笑って言ってのける男を、慶時は到底許せるはずがなかった。
 目の前が赤い。今すぐにでも飛び出してその首を捻り殺してやりたいのに、余りの怒りに身体がぶるぶると震えていうことをきかない。ああ、視線だけで人が殺せるならあんなやつもうとっくにミンチになっているというのに!




 そうして気が付けば、慶時は冷たい床に身体を横たえていた。目の前はまだ赤い。身体も熱を持ったままだが、やけに重く、だるかった。
 誰かの手が慶時の身体に触れている。優しい手が、慶時の身体に触れている。
 (良子先生…?)
 いつだったか、慶時が酷い高熱を出して寝込んだ時、今と同じように身体が熱くて重くてだるくてどうしようもなく辛かった時、彼女は一晩中慶時に付いて看病してくれた。何度も額のタオルを濡らし直しては、乗せる前に必ずその手を額に当ててくれて。水を絞ったばかりの掌が冷たくて気持ち良くて、心配そうに肌を撫ぜるその手が優しくて泣き出したくて。
 (良子先生…)
 おかあさん。一度でもそう呼んだら、彼女はどんな顔をしただろう。困らせただろうか。それとも、少しは喜んでくれただろうか。
 ありがとう。ぼくの一番さいしょの思い出があなたでよかった。
 ありがとう。いつでもぼくを見ていてくれて。
 ありがとう。いらないぼくをあいしてくれて。
 だいすきでした。ぼくのかみさま。



*********
男の子はみんなマザコンなんだよ!そして思春期を経てママを卒業していくんだよ!(…)
あの子たちは、思春期すら卒業出来なかっただけなのです。


拍手

PR

コメント