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川田さん。実は彼とわたしは同い年、のはずだったのです、彼が生きていてくれたのなら。
愛するかやさんに捧げます。(なので七典も居るよ!川田さん視点ですけど!)
愛するかやさんに捧げます。(なので七典も居るよ!川田さん視点ですけど!)
パソコンはからきし、と秋也と典子には言った川田だったが、勿論それは嘘だった。それは彼らを信用していなかったからではなく、単純に、盗聴に対する対策だった。
まさか再びこの“幸せゲーム”に参加することになるなんてあの時全く予想すら出来なかったがしかし、春先に政府の中央演算処理センターにハッキングをかけ、その他諸々の情報と一緒に、この忌まわしき“ガダルカナル二十二号”の設計図を入手したのは紛れもなく川田本人である。
今回のこのゲームの結末は未だ見えて来ないが(それでもただではやられない、とは決めている)、それを知られるわけにはいかなかった。邪推すらしてほしくない。奴らにはグレーゾーンなどなく、疑わしきは罰せよ、少しでも怪しいならばすぐさまドカン、なのだから。
まあとにかく、当たり前と言えば当たり前のことなのだが、川田にそこまでの技術を授けてくれた人が居た。“人たち”が居た。
そもそも、川田の実家である神戸のスラム街の診療所は、そしてそこの長であり唯一の医者である川田の父は、世間一般で言う“闇医者”だった。きちんと医師免許は持っている。だがしかし、表には出られない人間だった。
いわゆる、“レジスタンス”の一員だったのだ。
川田の誕生、母との結婚(この順番で間違いはない)、そして、母の死。そういった環境の変化で一線から退きはしたものの、代わりに、陰から仲間たちを支える道を父は選んだ。どこから聞いて来たのか、たまにそんなこんなとは全く関係のない、背中に龍や牡丹を背負う男たちが運び込まれもして来たけれど、基本患者は昔の仲間や、今最前線に立つ人たちばかりで。
そんな中、看護師だった母の死後見よう見まねで父に付いて助手を務めていた川田が、次第に彼らと交流を深めていくのは自然のなりゆきであっただろう。
彼らは――――川田が最初のプログラムから生還した時、ただただ優しく、迎え入れてくれた。
川田のプログラム参加をきっかけに父も殺され、きっとその時に組織との繋がりや何がしかの情報を探そうと相当家探しをしたのだろう、無人の、そして思い出と呼べる品々の何もかもを失った家を、それでも彼らは代わる代わる訪れては片付けやら掃除やらをしてくれ、例え何もかも失った空っぽの家でも、荒れ果て朽ち果てていくのだけは防いでくれていた。
プログラム会場からそのまま病院に運ばれ長い入院生活を余儀なくされた川田がようやっと我が家に帰り着いた後も、どこかにあるはずの監視の目を掻い潜っては彼らはやって来て、ただ川田の心身の傷に手を当て、起きた不幸を嘆き、川田の怒りに寄り添ってくれた。
川田が奴らと闘う術を求めれば、最初こそみな渋りはしたものの、川田の覚悟と怒りを察してくれて、それぞれの技術を余すことなく川田に与えてくれた。…そしてそれは今でもまだ、続いていたのだけれど(事態がこうなってしまったからには、“続き”が聞けるかどうかは川田にももう分からない)。
秋也たちに渡したメモに書いた住所も、その内の一人のものだ。
己は、何を成すのか。小雨けぶる木々の中で、灰色の煙を吐き出しながら、川田はまだ考えている。
七原秋也と中川典子。二人がいいカップルに見えた、というのは本当だった。心底から、本音だった。
こんな状況下なのに二人手と手を取り合って、何も知らない無垢な丸い瞳を揃って向けて来て。まるで童話の中の王子様とお姫様のような。
二人の脳内はきっと、まだきっと、色とりどりの花畑が広がっている。いや、そのスペースが残されている、と言った方が正しい。例えこの一日二日でたくさんの人間の死を見ても。その死んだ人間がほんの少し前までは机を並べていたクラスメイトで、将来の夢だのただの馬鹿話だの昨夜見たドラマの話だのを交わしていた親しい友人で、そして彼らに死をもたらしたのも同じクラスメイトで、友人で、そして自分自身であったとしても。
それでもきっと二人の心は決して血に染まり切ることはなく、きっとどこかに、それがほんの僅かであったとしても、鮮やかな世界が残っている。…いいじゃないか。それでいいんだ。だって彼らは、まだ十五歳の子供なのだから。
彼らを助けたい。出来るならば、可能ならば、彼らだけでなく、もっと。
川田は、己にそれが出来ることを知っている。最初の晩に立ち寄った雑貨屋で既に首輪を外す道具は揃えている。秋也たちに出会う前に組み立ても終わっている。支給されたデイバッグの底で、それは出番を待って静かに眠っている。
川田の脳裏に過ぎるのは、四月、再び巡って来た中学三年生という春、満開の桜、眩しい教室、真新しい学生服の固い生地、きらきらと輝いてばかり見えた仮初の(だって川田は始めから馴染むつもりも馴染めるとも思っていなかったのだ、そして確かに、今更誰に何に対する義理立てかも分からない後ろめたさを抱えていた)クラスメイトたち。
こんな世界を、知らなければ。こんなゲームを、知らなければ。また沸々と川田の中に怒りが湧きあがって来て、無意識に銜えた煙草の先を奥歯でぎゅうと噛み締める。
けれど川田はまた、知っている。こんな世界を知らなければ、こんなゲームを知らなければ。…けれど彼らはもう、こんな世界を、こんなゲームを、知ってしまったことを。
きらきらと輝いていた鮮やかな世界が地に堕ちた色を知っている。堕ちた世界が見せるリアルを知っている。幼いからこそ、まだ心が柔らかいからこそ、それに染まっていく十五歳の子供たちを、知っている。
だってそれは、自分自身でもあるのだから。
――――己は何を成すのか。…俺は、どうしたらいいのか。そうしてまた、思考は堂々巡り。
***
“合衆国へ行こう”、と。“一緒に、合衆国へ行こう”と、秋也が言ってくれた言葉がずっと川田の耳底から離れない。
合衆国へ行くこと。それは、川田の小さな小さな夢だった。
合衆国へ行って、擦り切れた、ノイズ混じりでない、本物のロックの音を直接聴くこと。こそこそとではなく、堂々と。
川田が初めてロックに触れた時にはもう既に母はこの世になく、父の助手も板に付いて来た時分だったから、何となく川田はこのまま父の跡を継ぐのだろうと思っていた。父が何と言おうと、運び込まれて来る彼らを治療するには助手は絶対に必要で、そしてこんな危険な職場にわざわざ就職してくる物好きも居ない。ならばそのポジションを担うのは己だと、当然のように川田は考えていた。
だって彼らは、兄弟の居ない川田にとって兄・姉のような存在であり、または親戚の叔父・叔母のような存在だったのだ(本物の親戚は居ないと聞いていたが、本当に居ないのか、はたまた絶縁されているのかまでは知らない)、そんな大切な人たちを己が救えるのなら救いたい、それは当たり前の人情だろう。
けれど、そのたくさんの兄弟の内の一人にロックを聴かされ、まだ幼かった川田少年は小さな夢を見た。
合衆国へ行くこと。
合衆国へ行って、擦り切れた、ノイズ混じりでない、本物のロックの音を直接聴くこと。こそこそとではなく、堂々と。
秋也と交わしたロックの話を、またも川田は脳内で反駁する。久し振りだった。十ヶ月ぶりだった。誰かとロックのことを話して笑うのは。
――笑えるのだ、と。誰かを心配させないように、少しでも二人の緊張を解くために、少しでも二人に信用してもらえるように、少しでも、震え出しそうになる己を落ち着かせるために。そうと意識して笑うのではなくて。あの頃のように、十ヶ月前のように、まるで何も知らない中学三年生のように、まだ笑えるのだと。
それに気付いたら、川田は堪らなくなってしまった。煙草の煙が染みたことにして目を細めてみるが、だがしかし、今はもう誰かにそんなポーズを見せる必要はないのだと気付いて、少し苦笑った。
川田が迷っている間に、思考を堂々巡りさせている間に、今回のゲームも全て終わってしまった。
川田が助けたいと心底願った二人は何とか守り切れたものの、それ以外の全ては何もかも失われてしまった。十ヶ月前の、もう五十年も前から繰り返し行われているこの馬鹿げたゲームの、それは変わらない結末だった。
今川田は、放送の指示に従って分校へ向かっている。秋也と典子、彼らとは途中で別れた。彼らには港からは少し離れた海岸から海伝いに港に回り込むように言っている。全ての兵士が集まっている分校に少しでも近付くのは危険でしかないからだ。
だから今、己が柄にもなく泣いて見せても、見られる心配はどこにもない。川田は一人だった。今も、十ヶ月前から、ずっと。
しかしそこで、またあの声が響き渡るのだ、――――“一緒に行こうぜ、合衆国まで”。
それは小さな夢だった。
母を亡くした川田少年が父と父の友人たちと交流を深め、この国の異常さを知り、その国に虐げられている己の家族たちを少しでも助けたいと思い、父と同じ医者の道を、そして父と同じに陰からでも彼らを助ける道を行こうと。
そう、当たり前のように決めていた川田に、突然降り注いだ音楽。力強い音で、声で、世界の在るべき姿を、人間の在るべき姿を、在るべき生き方を、叩き付けて来た音楽。
もう夢中だった。元々擦り切れていたテープが千切れるまで聴いた。けれど、本物はこんなものじゃない、もっと強くもっと圧倒的だと、父も父の友人たちも口を揃えて言っていて。
聴きたい、と思ったのだ。自分も聴きたい、と。そして、人目を憚ることなく、自分の家族たちと大手を振って表通りを歩きたい。正しいことは正しいと、間違っていることは間違っていると、お天道様の下で、ちゃんと口に出して言ってやりたい。
勿論、幼いながらにそれが難しいことは川田にも分かっていた。だからこそ、腹立たしいことではあるけれど妥協点として、この国と闘う人たちを俺だけは手助けしていってやると、医者を目指す道から逸れるつもりはなかったのだけれど。
“一緒に行こうぜ、合衆国まで”。
何の因果か宿命か、はたまた呪いなのか、この国は川田から、唯一の血の繋がった家族と初めて愛した女(ひと)を奪っていった。
もう悠長に、陰から支えるなんて言えなくなってしまった。自己満足でいい、せめてのその一太刀が、結局どこにも届かなくてもいい、ただこの怒りを憎しみを、哀しみを、全てを込めたこの拳を、どこかに振り下ろせればそれでいい。
秋也たちに言った通り、そう遠くないいつか、川田は何かをしようと決めていた。その何かをまだ具体的には考えられていなかったけれど、春先の中央演算処理センターへのハッキングはその布石でもあった。
何かを成すのか、それとも、結局何も成せないまま、ただ犬死していくのか。川田はもう、どちらでも良かった。だって、
“一緒に行こうぜ、合衆国まで”。
最後の戦闘で桐山に開けられた首の後ろの小さな穴からは、まだじわじわと出血が続いている。秋也と典子に心配をさせたくなくて、……これが致命傷だと気付かれたくなくて、簡単な手当てすら放置した傷から零れ落ち続ける血液は、いやに熱を持った身体に酷く冷たく感じた。
こうして失われていくのだ、奪われていくのだ、このクソゲームに参加した者たちは何もかも。
遺される二人を川田は思う。七原秋也と、中川典子。彼らは確か、出席番号は同じだったはずだ。ということは、出発順も連続だったということ。これはもはや、運命の女神様というものが実在していて、彼らに微笑んだとしか思えない僥倖だ。…自分と慶子には微笑んでくれなかった、忌まわしい神様であるけれど。
慶子。その名を紡ぐ度、川田の胸は抉られていく。あの日あの時、驚愕に顔を染め、一目散に逃げて行く彼女の姿が何度も何度もリフレインされる。そして、命が失われてしまったその姿も。
何が違った、何が駄目だったのだ、あの二人は最初から手を取り合えていたのに、俺たちは何が。苦しくなっていくばかりの肺に、川田は無理やり煙草の煙を吸い込んだ。視線の先に、分校の明かりが見え始めている。
きれいなひとだ、と典子は言ってくれた。きっと幸せだった、生きていてほしい、どうか生きて――――。
“一緒に行こうぜ、合衆国まで”。
背中が重い。それは己が流した血が、はたまた今回手にかけた人たちの血が、まだたった二ヶ月ばかし袖を通しただけの身体に馴染んでいない学生服にぐっしょりと染み込んでいるせいかもしれない。もしくは――幽霊なんて信じていないと典子には言ったけれども――前回も含めた己が手にかけた人たちの恨みつらみが、ずっとこびり付いて離れていないのかも、しれない。
それと同じで、ずっとずっと、桐山との戦闘の時も、致命傷を受けた後も、秋也と典子の首輪を外している時も、今もまだ、ずっとずっと、秋也の誘いの言葉が川田の耳にこびり付いて離れない。
――――“一緒に行こうぜ、合衆国まで”。
(すまないな)
もう分校は目の前だ。川田が武器を持って反抗するのを警戒して、兵士どもがグラウンドに並んで銃を構えてこちらへと向けている。
ここで最後の一服とばかり(一応川田はまだ、未成年なので。首輪の盗聴で川田が喫煙者だというのはとっくにバレてはいるだろうが、さすがに目の前では吸わせてはくれまい)、川田は手にしていた煙草をフィルターぎりぎりまで一気に吸い込んだ。
すまないな。俺はもう、お前たちの誘いに応えることは出来ない。こいつらに一発カウンターを喰らわしてやることも出来ない。…何かやってやると決めていた、十ヶ月前のあの日からずっと決めていた、だけど慶子、もしもお前が典子サンの言うように思ってくれていたのだとしたら。…だけど、もういい、もう、いいんだ、慶子、
だってあなたは、もういないのだから。
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首輪の正式名称やら、「中央演算処理センター」という名称を調べるためやら、秋也が合衆国行きを誘ったタイミングやらを確認するのに原作を開き、ついつい三村が死んでしまうシーンを読み返してしまっていたり。
…ああ、三村もいっぱいいっぱいだったんだね、って思ったり。やっぱ桐山ねーよwwwとか思ったり。
光子の最期のシーンも読み返しちゃった。滝口くんのも。
“理由”って大事だね。それを理解してくれるのも、大事。
みっちゃんの最期のキスは、昔は、もっと殺伐とした想いを想像していたけれど、本当に純粋な気持ちだったのかなって、今は。
本文にも、“心のこもった”って書いてあったし。
みっちゃんは、愛を知っている。ただ、自身には与えられなかっただけで。与えられなかったからこそ、本当は、何より良く知っていたんじゃないかって、そんなことを思ったり。
彼らと年代が近かった頃より彼らを素直に見たくなるのは、わたしが大人になったからなのか当時のわたしが殺伐としていたからなのかw
でも、何だかまた違った視点で彼らを見れそうで少し楽しみです。
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