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腐を書くのは久々過ぎて(元がBL作品の場合除く)……あれ、沖土(銀魂)はどうなるんだろうw
ええととにかく、はっきり自分で自覚して腐を書いたのは久々なので、お作法(んなもんあるのか)とか違えてないかとちょっと心配。
でも、愛は詰めた。燃え尽きるくらいにはw
原作準拠。当然のごとく3部ラストまでネタバレ。わたしの中の承花の起承転結。
ええととにかく、はっきり自分で自覚して腐を書いたのは久々なので、お作法(んなもんあるのか)とか違えてないかとちょっと心配。
でも、愛は詰めた。燃え尽きるくらいにはw
原作準拠。当然のごとく3部ラストまでネタバレ。わたしの中の承花の起承転結。
一目見たときから、美しい男だと思っていた。
濡羽色の髪、陶器のような肌、神の御業のごとき造り、己が何より愛する色を嵌めた瞳。
常に寡黙かつ冷静でありながら、触れたなら溶かされるほどの熱を持ち、そして時には歳相応のやんちゃな面も見せた。
彼はいつも当然のごとく全てに向かって凛と立つ。その視線の先こそが、この短くも長い旅の中で進むべき道。
花京院典明にとって空条承太郎とは、彼が従えるスタンドのごとく、砂漠の夜空にいっとう輝く北極星そのものであった。
***
香港沖海上で漂流していたときのこと。
赤道にほど近いこの地域は冬でも温暖で、夜はさすがに冷えたが昼日中は日光を波が強く反射することもあって時に汗ばむほどの陽気だった。
周囲に島一つない海の上ではさすがに財団の助けも呼べないと、このままシンガポールへ向かうしかない小舟の上は、無駄な体力を消耗すまいとみな寝ていることが多かった(とはいえポルナレフは暑い暑いと喧しかったが)。
勿論花京院とてどうしようもない状況は理解していたから、他と同じように眠ろうと試みていたが、いかんせん、陽射しがきつかった。目を閉じていても瞼の裏側で揺れる光が騒がしい。かといって目を開いたら開いたで、海から照り返る陽射しが目を刺すのだ。
己が選んだ旅とはいえ、その道のりが容易いものではないと覚悟はしていたとはいえ、出だしからすでにこうなのかと、若干滅入って溜め息が零れるのも無理はないと思う。何せ花京院は、たとえ産まれついてのスタンド使いでそのおかげで少しばかり性格が歪んでいてひきちぎると喜びで狂い悶えようと、それでも普通の高校生なのだ。
だから、すぐ隣から、大丈夫かと至極落ち着いた声が聞こえたとき、僅かな驚きと悔しさを覚えるのもまた、無理はないと思う。
額に手を当て射す陽を遮りながら花京院が目を開くと、声をかけて来た男は真っ直ぐに花京院を見つめていた。
眩しい。真上から降る太陽の光よりも海原から射すその照り返しよりも、男の持つエメラルドが何よりも眩しい。かの有名な聖杯伝説で謳われるエメラルドもまさにこんな輝きを持っていたのではないかと、花京院はまた溜め息を零してしまった、今度はまったく正反対の心持ちで。
その違いに敏い男――承太郎は当然気付いて、何だと首を捻る。無知は罪だと良く言ったものだと思うがしかし、花京院は常識を弁えていたので、女性でもない己が彼に賛美を送ることなど滑稽極まりないと分かっていたし、また承太郎に負けず劣らず敏い自信もあったので、彼がそれを望まないことも分かっていたから、少し苦笑って最初の問いにだけ応えることにする。
「大丈夫と言いたいですが、やはり少し陽が強いな。目を瞑っていても気になってしまいましてね。その点、きみは平気そうだ」
「ああ、まあ、おれにはこれがあるからな」
そう言って承太郎は、学帽の鍔をちょいと指先で摘んで見せる。
花京院は、承太郎がその学帽を脱いだ姿を見たことがない。
この空条承太郎という男は、世間では不良だのモデルや俳優以上のイケメンだのまあ余り相違ない評価をされているが、その実超が付く御曹司だ。祖父はアメリカの不動産王、父親は世界で有名なミュージシャン、住まいはあの大邸宅。共に過ごしてまだ一週間と経っていないが、たとえ外見が立派な番長然としていても、育ちの良さは隠しようがない。にも関わらず、食事の席で学帽を脱がないことが花京院には不思議だった。
しかし花京院は、己は常識を弁えていてかつ敏い男であるという自負があったので。きっと彼なりの拘りなのだろうと、それを問うような失態は犯さない。
「それならきみは良く眠れそうだ。…眠らないのかい?」
「おれはいい」
承太郎の視線がついと海へ逸れる。上から下から射す光に輝くエメラルド。それは、花京院が一番愛する色。承太郎に不審がられるとしてもやはり、恍惚としてしまうのはもう致し方ない。
そんな花京院の視線には気付かず、不意に承太郎はスタンドを出現させた。目が覚めたように一気に花京院に緊張が走る。スタンド攻撃か。辺りに船影すらなくとも何が起こるか分かりはしない。何せすでに海上で二度も襲われた後なのだ。
すぐさまハイエロファントグリーンを呼び出し周りで寝こける他の連中を起こそうとする花京院に、承太郎は「違う」と言って手を挙げて制した。
「すまねえ、何でもねえ。ただちぃとばかし、海の中を見ようと思っただけだ」
その言葉通り、彼が呼び出したスタープラチナはその大きな身体を丸めて船のへりから顔を突き出し、波間へと沈めていく。
少し、いや大分奇妙な光景だと思いながら、それでも花京院は警戒を緩めずに承太郎に問う。
「どうしたんだ。何か気になる気配でもあるのかい?」
そう言いながらハイエロファントの触脚を伸ばしてみるが、取り立てて妙な気配も不穏な動きをするようなものも見当たらない。
承太郎は振り向いて、だから違うんだと首を振った。
「暇だからな。珍しい生き物が見付かるかと思って」
拍子抜けだった。その思いがするすると花京院の元へ戻って来るハイエロファントにも伝わったのか、触脚の先端がぽちゃりと波に浸かる。途端、花京院の指先にフィードバックされる水の冷たさ。一瞬どきりとしたが、すぐにその冷たさは熱した身体に馴染んだ。
そのまま触脚を波に浸したまま花京院はつい笑ってしまう。
「きみは、何というか、面白い男だな承太郎。今の台詞、何だか子供のようだと思ってしまった」
口に出したら尚おかしさが増してしまって、とうとうノホホと笑い声を上げ始めてしまった花京院に、承太郎は学帽の鍔をぐいと引き下げ低い唸り声を上げる。何とも分かり易い照れ隠しだ。まさかあのJOJOが、冷静沈着、突然命を狙われても顔色一つ変えない、自分に対する如何な興味の視線も無表情で突っぱねるあのJOJOが。実はこんなにも純粋で分かり易い男と知ったら、彼に群がる人々はどう思うだろう。花京院の笑いは止まらない。
――今にして思えば、それは優越感だったのかもしれない。純粋で分かり易い承太郎。けれどそれを彼に群がる人々はきっと気付くことなく、気付いたのは己だけだという愉悦。
笑いが止まらぬ花京院に承太郎は大きく舌を打った。
「いいからてめーはさっさと寝やがれ」
頭を覆った衝撃。翳る視界。
花京院の頭に、承太郎の学帽が深く被せられていた。
驚きに視線を上げ、そして花京院は図らずも初めて見たのだ、学帽を脱いだ承太郎の姿を。
承太郎が海洋生物に興味を持っていると知ったのは、もう少しばかり後のこと。
***
一目見たときから、美しい男だと思っていた。
風に揺れる一房の髪、細く引き締まった躰、意志の強そうな薄い唇、深い緑にも紫にも見える不思議な色合いを持つ瞳。
常に知的かつ穏やかなようでいて、いざというときには誰よりも痺れるほどに狡猾に敵を討ち、そして時には歳相応のやんちゃな面も見せた。
彼はいつも当然のごとく全てを見据えて凛と立つ。その視線の先に立つ己が、どれだけ誇らしかったことか。
空条承太郎にとって花京院典明とは、彼が従えるスタンドのごとく、この星に大きく広がる母なる海そのものであった。
***
日本を旅立ってからおおよそ三週間ほど経った頃のこと。
海路と陸路を駆使してようやっと海二つ向こうに目指す国を捉えた。
海二つ向こうなど、本当ならば空を飛んでしまえばよっぽど早い。そもそも最初から危険なく飛べていたら、今頃日本の自室で炬燵に脚でも突っ込んでのんびりしていただろうと思うと、まだ相見えぬラスボスに思わず承太郎は舌打ちをかました。
すると隣から、おや、という穏やかな声がする。
「どうしたんだい、承太郎。さっきの虫野郎におしおきし足りなかったのかい?」
さっきの虫野郎――恋人(ラバーズ)の暗示を持つという、けれどその名にまったく似合わないどうしようもなく醜い正真正銘の史上最悪な男のことだ。まさかと承太郎は口角を上げる。
「きっちりツケの領収書まで渡して来たぜ」
隣の男、花京院はおやおやと大仰におののいて見せ、そうして承太郎と同じように不敵な笑みを幅広な唇に描いた。
これから、残る二つの海の内の一つを超えてまた別の国へ行く。もう後幾つ国を超えればいいのか承太郎には良く分からないが(何せ行程は全てジョセフ任せだ)、ぼんやり頭の中で思い浮かべる世界地図によれば、多分そこそこ目的地へは近付けていると思う。
今までの旅路を振り返れば、目の前のゴールに辿り着くだけでもどれだけの横槍が入るか今から頭も痛むが、それでも今のところ日本を出て三週間。時間切れまでは後半分ある、まだ間に合う。いや、間に合わないなんてことは絶対にさせないのだが。
承太郎は元々、こうと思ったことは貫き通す性格であるし、己がやると決めたことは何が何でもやり通すと決めている。だから、DIOをブチのめして母を救うということは、承太郎が立ち上がった時点で絶対なのだ。
けれどもしかし、己が絶対だと信じて突き進めるのは、隣に立つ花京院を筆頭にした今共に歩んでいる仲間たちのおかげであることも、承太郎は理解していた。
たとえば、最初のタワー・オブ・グレー。スタープラチナの速さにも捕えられず、狭い箱の中というマジシャンズレッドでは相性が悪い中、奴を片付けてくれたのは花京院だった。
承太郎はそのとき初めて彼そのものの闘い方を見たのだが(肉の芽を植え込まれていたときの彼はまったくの別人と認識している)、知的にスマートに、けれど容赦は微塵もないその闘いっぷりは、見ていてまさに痛快の一言。暗い機内に飛び交った輝く無数のエメラルド、その輝きに浮かんだ花京院の不遜とも見える好戦的な笑みは、痺れるほどの頼もしさを承太郎に知らしめたのだった。
そして、アヴドゥルのマジシャンズレッドとポルナレフのシルバーチャリオッツの闘い。
マジシャンズレッドの炎を斬って串刺しにしてみせるチャリオッツも素晴らしければ、正直ただ炎を繰り出すだけだと思っていたアヴドゥルのスタンド能力の捌き方も素晴らしかった。
また、ポルナレフのたとえ肉の芽に支配されていようと失われることのない騎士道と美学、それを受けるアヴドゥルの漢気。
良い男たちに出会えたと、この過酷な旅においてそういう希望の増えることが承太郎にとってどれほど喜ばしかったか。
承太郎は、己の思ったことは誰に何と言われようと貫き通すし、やると決めたことは何が何でもやり通す。しかしそれは裏を返せば、己と周囲、または己と己の闘いであった。一対他、もしくは一対一。常に立つのは己一人。
勿論それで当然だと思うし、一人で立てもしない男が全てを押し通すことなど出来ないと思っている。
けれど。
立つ己の右に左に、そして背に、心から信頼出来る男たちが立っていてくれることがこれほどに心強いことを、承太郎はこの旅を通して初めて知ったのだ。
「どうした、何だか急に元気になったようだね、承太郎?」
また隣から、賢しい男の声がする。
花京院という男は、やたらと気配に鋭い。それが彼の持つスタンドゆえなのか彼そのものがそうなのかは分からないが、大抵無表情で何を考えてるのか分からんと良く言われる承太郎の機微を、最近では血の繋がった祖父より敏く気付く。けれど承太郎は決してそれが不快ではない。寧ろひどく心地よく感じている。
花京院と出会い、こうして時間を重ねられたことも、この旅の中の僥倖の一つだと承太郎は思う。
「いや、ちぃとな、…この旅も、悪いことばかりじゃあねえな、と」
言葉に出してみたものの、自分がそれまで考えていたことを知られるのはやはり気恥ずかしく、承太郎はぐいと学帽の鍔を下げた。
そんな承太郎の様子に花京院はちらりと微笑ってみせ、そしてふと目を細めた。少しばかり落ち込んでいるような、悔いるような眼差し。
「ぼくにとっては、…こんなこと言うのは不謹慎極まりないと分かっているのだけど、すまない、ぼくにとっては、いいことずくめかもしれないんだ」
囁くような懺悔。心なしか、いつもはすらっと姿勢正しく伸ばしている背が丸まったようにも感じる。それに合わせて一房だけ流されている前髪が花京院の顔に影を作り、更に深刻げな雰囲気を醸し出した。
しかし、承太郎が驚きで僅かに眉を上げると、花京院はすぐさまそれを察したように承太郎を見上げて微笑う。
「いやそんな、きみに心配してもらうことじゃあない…というか、きみやジョースターさんに対して本当に申し訳ないことだから、きみに心配なんかされてしまうと逆に恐縮してしまうよ」
何をそんなに申し訳なく思っているのだろう。当然だか疑問はそこだ。そしてこれまた当然のこととして、承太郎はそれを問う。自分たちに対しての気持ちなのだから聞く権利はあるし、それ以前に何よりも、承太郎は何でも気になると夜も眠れねえのである。
問われた花京院は一瞬言い淀んだ。けれど何を思ったか、次の瞬間には覚悟を秘めた真摯な瞳で承太郎を見つめ、そして口を開く。
「ぼくには産まれた時からハイエロファントグリーンが見えていた…けれど、両親も、他の人たちの誰にも、理解してもらえることはなかったんだ。見えない人間と真に気持ちがかようはずがない、だから今まで友達なんて一人も居なかったし、たとえ両親でもぼくはぼくの心を許すことができなかった。もうずっと、子供のときから、ずっと」
瞳の中は苦しげに揺れるのだが、それでも花京院の視線は僅かほどもぶれない。真っ直ぐに承太郎の目を見上げながら告解は続く。
「なのにこの旅で、この旅の始まりで、きみに出会った…承太郎。それにジョースターさんも、アヴドゥルさんも。そしてポルナレフ。みんな、ハイエロファントが見える、ぼくがずっとずっと求めていて、そして諦めていた人たちとようやく出会えたんだよ」
花京院の頬に赤味が差しているのは、自分の心の内を打ち明けている恥ずかしさからなのか、それとも喜びに震える興奮からなのか。
ついこの間までスタンドなんて存在は知りもしなかった承太郎に、花京院の抱えて来た苦しみも寂しさも、そして喜びも、それこそ真に理解してやることはきっとできない。もしかしたら同じ境遇だったアヴドゥルやポルナレフの方が分かってやれそうな気もするが、けれど彼らは花京院ほど思い悩んだ風もなさそうに見える。
とにかく、承太郎は花京院の気持ちを真に理解はしてやれない、けれども先ほど自分が思っていたように花京院もこの出会いを喜ばしく思っていることが、承太郎はただ嬉しかった。
「…この旅の目的はDIOを倒すことだ。それは何故か? ホリィさんを救うためだ。ならば道中は迅速に、少しでも早く先に進まねばらならない。けれどね承太郎……ぼくはとんでもないことに、この旅が終わってしまうのを少し残念に思ってしまうんだ」
なるほど。花京院ほどではないかもしれないが、承太郎だってしっかり頭は回っている。何故花京院が申し訳ないなんて思うのか、もうすっかり承太郎は分かってしまった。更に言葉を重ねようとする花京院を手で制し、今度は承太郎が口を開いた。
「別にこの旅が終わってそれっきりなんてことはねえぜ」
承太郎にとってはこれも絶対のことだった。何故なら、
「花京院。てめー、おれと同じ学校に転校して来たんじゃあなかったのか?」
ぴしり、と指を指して言い放てば、話の流れに戸惑いながらもそういえばと花京院は頷く。ただそれは肉の芽を植え付けられた花京院が起こした行動であり、かつ転校後二日も出席せずに今に至るわけなので、花京院としては実感が薄いようだった。それは仕方がない。問題はそこではないので、承太郎は無視して話を続ける。
「ジジイやアヴドゥルやポルナレフは、国が違うからなかなか会えなくなるかもしれんが、おれは居る。旅が終わっても変わりゃあしねえぜ」
花京院は数度瞬いた。敏く賢い男なのに、何故こんな簡単なことを思い悩むのか。まったくやれやれだぜ、と承太郎は学ランの内ポケットから煙草を取り出してくわえた。火を灯して二度三度煙を吐き出したところで、ふっと花京院から張り詰めた空気が霧散したのが分かった。
「…そんなこと言って承太郎、きみは大層な不良らしいが、学校へはちゃんと来るのかい?」
「てめーが居るなら行く」
「お昼はどうしているのかな。購買、いやあのホリィさんに限ってそんなことはないな、弁当だろう? いつもどこで食べているんだい」
「女どもがうるせーからな。大体屋上だ」
「ああ、それは気持ち良さそうだな。是非ご一緒させてくれないか」
「構わないぜ」
「それと、放課後は何しているんだい? 真っ直ぐ家へ帰るのか? それともどこかに寄り道を?」
「たまにはその辺ブラついたりするぜ。まあそうすると大抵面倒なことになるがな」
「そうだな、どういうことになるのか大方の予想はつくよ。それなら今度はぼくの家に招待してもいいかい? きみの家ほどの広さはないけどね」
「ああ」
それから承太郎と花京院は、ジョセフが船の手配が済んだと呼びに来るまでずっと、日本に帰ったらああしようこうしようと話を続けた。相撲観戦にも行こうと決めた。途中でナンパに飽きたポルナレフも合流して来て、夏の休みにはフランスに行くか日本に来るかで揉めたりもした。ついでに呼びに来たジョセフまで、フランスでも日本でもなく次はアメリカだと言い始めてポルナレフと言い合いになったので、承太郎と花京院は再び二人で話をした。
花京院がゲーム好きだと知ったのは、もう少しばかり後のこと。
***
周囲の腫れ物に触るような、憐みの籠った、けれど異質なものを見る視線が痛い。痛いなんてものじゃない、ようやく真に気持ちがかよい合える友人を得たと思っていた花京院にとって、それは絶望でしかなかった。
何かがおかしいとは思う。疲れはまああるのだろう、自分ではそれほど感じてはいなかったが。しかし、今まで悪い夢を見ることなどなかったし、勿論夢なのだから気付かぬ内に悪夢の一つや二つは見ていたのかもしれないがそれを目覚めても引きずるなんていうのもなかったし、なのにそれが連続するなんてとても考えられない。
花京院は自分を知っている。もしかしたらそう思うことは傲慢なのかもしれないが、けれど今どんなに冷静に己を分析してみても、彼らと目的を同じくして進む旅に高揚を感じこそすれ、苦痛を感じたことなど一度もない。
いやしかし、おかしい人間が自分でそうと分かるものなのか。自分はおかしくないと思うことこそ、おかしくなっている証拠なのではないか。考えれば考えるほど、花京院は己に自信を失っていく。
それは今のこの状況も拍車をかけていた。
花京院がセスナで暴れたせいで墜落した砂漠。すでに日本を立って四週間近く、タイムリミットは迫って来ているにも関わらず、敵ではなくて己のせいでの足止め。
ポルナレフははっきりと花京院を詰ったが、ジョセフと承太郎は花京院の疲れを労りこそすれ、それを責めるようなことは決して言わなかった。けれど、二人ともこの状況を憂いているのはさすがに見て取れた。
(ああ……)
ぐっ、と、花京院は自らの左腕を強く押さえる。その袖の下に刻まれた傷にまったく覚えがない。それが花京院には恐ろしい。無意識の内の自傷行為など、それこそ自分がおかしくなってしまった証拠ではないのか。しかも刻まれた内容も問題だ。“BABY STAND”――あの、生後半年ほどの赤ん坊が敵スタンド使いだというのか。そんなことがあり得るのか。
花京院は産まれついてのスタンド使いだ。それをスタンドと呼ぶのを知ったのはつい最近のことだが、ハイエロファントグリーンは物心つく前からずっと花京院の傍に居た。だからこそ知っている、ハイエロファントの――スタンドの強さは花京院の成長と共に増していったということを。
勿論、花京院が幼い頃からハイエロファントは人ならざる力を有していた。幼く力の弱い花京院が持ち上げることも出来なかったものを、ハイエロファントなら持ち上げて移動することも出来た。しかし、“強さ”とはそういう物理的なことではないのだ。
たとえば、もしかしたら、花京院が赤ん坊の頃でも、ハイエロファントは人を縛り上げたり、誰かを何かをひきちぎったり出来たのかもしれない。しかし、そうしようという“精神”が赤ん坊にはない。
スタンドとは“精神”の具現化だと(今にして思えば忌々しいが)DIOに教わった。
つまり、他人に対する悪意や害意を持たない者が、特定の誰かにスタンドを使って攻撃することなど不可能なのだ。
先ほど、花京院はポルナレフに少し話を聞いた。アヴドゥルが離脱している今、産まれつきのスタンド使いは彼しか居ない。ポルナレフは花京院を心配しつつ、だからこそか面白おかしく彼の少年時代を語ってくれた。曰く、チャリオッツも最初は子供のような容姿でポルナレフの成長と共に大きくなっていったこと、携える剣もナイフ程度のサイズから成長と共に今のサイズになったこと、それこそ初めはディナーの肉を切るか標本用の虫を捕えることしか出来なくて、云々。それはハイエロファントの成長過程とほぼ一致していた。
で、あるならば。花京院は、押さえ付けている左の袖口に伸びかけた爪を立てた。
“BABY STAND”――そんなこと、あり得るはずが、ない。
「…花京院」
いいから休んでおけと、食事の支度からも外され焚き火の前に座り込む花京院の頭上から、低い声が降って来た。低くて深い、この夜のような声。
裁きを受ける罪人のような心持ちで花京院が顔を上げると、目の前に湯気の立つカップが差し出された。湯気が昇り消える先に浮かぶのは、星を背負った美しい男。
短い礼を男に告げてカップを受け取る。香りからして中身は、最近花京院が気に入った茶葉で淹れられた紅茶のようだった。
目の前に立つ男は何も言わない。けれど、陽が落ちて尚煌めくそのエメラルドは、雄弁に花京院に語りかけていた、大丈夫か、と。
大丈夫だと応えたい。何も問題はないと伝えたい。けれど、その自信が今の花京院にはない。だから曖昧に微笑うしかない。そんな自分が、花京院は悔しくて堪らない。
男は二歩三歩と歩みを進め、花京院の横を通り過ぎ、花京院に背を合わせる形で立ち止まった。自分用として手にしていたカップの中身を一口飲み下す音がする。仄かに漂って来る香りから察するに、彼のカップの中身は彼の好きなブラックコーヒーのようだった。そうして覚える胸の痛みに、花京院はまた目を伏せる。
友人だと思える人の好みを知れるほどの関係を築けたのに。友人だと思える人が自分の好みを知ってくれるほどの距離に立てていたのに。失うのかもしれないと思うのは恐怖だった、それがもしかしたら己の弱さのせいなのかもしれないと思うのは、どうしようもない絶望だった。
「…星が、すげー、綺麗だぜ」
背後の男がぽつりと呟く。その声の落ちる角度から、彼が真っ直ぐに背を伸ばし、美しい筋肉と骨と血管に彩られた喉を反らし、この夜に全身を曝して立っているのが分かった。背を丸めて俯いている花京院とは正反対に。
(承太郎)
背中からでも、彼の気遣う気配を感じられる。それに身が震えるほどの喜びを感じている。けれど同時に、花京院は気付いている。落とした視線の先で食事の支度をしているジョセフとポルナレフが、時々ちらりちらりとこちらを窺いながら何言か言葉を交わしているのを。その視線と表情で何かを察せられないほど花京院は鈍ってはいない。
――救援が来たら、帰されるのだ、日本に。
無知は罪だと良く言ったものだ、といつの日か背中の男に対して思ったのは記憶に新しいが、何もかもを知るということも決して素晴らしいことではないと花京院は思う。
夜が明ける頃にはきっと救援は来るのだろう。そうしたら花京院は彼らと引き離されて、一人帰国させられるのだろう。
ようやく出会えた、ハイエロファントを見ることの出来る人たちと引き離されて、また見えない人たちばかりに囲まれる日常へ。
誰にも見えないと思っていた。自分にしか見えない友達なのだと思っていた。そう思えばこそ当たり前で諦めていた全て。
知ってしまった以上、知らなかった頃に戻れはしないというのに。
カチリという小さな音と共に、背後からコーヒーでも紅茶でもない薫りと煙が流れて来る。
花京院は失うのかもしれない。どうしたってもう二度と忘れることなんて出来ない、この美しい一等星を。
この夜が墜ちたら。
***
花京院がおかしいと、承太郎はすぐに気付いていた。
常に冷静で周囲の機微に敏く、しかし強かな面もしっかり併せ持つこの男が、精神がおかしくなるほどのストレスを溜め込むなど、あまつさえ何より高いプライドを持つこの男が、そのせいで気が触れるなど、どう考えてみてもあり得ない。
となると考えられるのはスタンド攻撃なのだが、承太郎が感じられる限りではそれも見受けられない。
さて困ったことになったと、焚き火の前で座り込む花京院を見やる。
何か――たとえばこの場に居る誰かを秘密裏に人質に取られているとか、そういった事情で花京院がスタンド攻撃のことを隠しているのかもしれない。花京院が本気で隠し事をした場合、それを見抜ける自信が承太郎には余りない。承太郎が鈍いというわけではなく、花京院がうまいのだ。つまり、承太郎が見抜けないということは、残り二人は言わずもがな。やれやれだぜ、といつもの口癖が口をついて出てしまうのも仕方のないことだろう。
その口癖をどう受け取ったのか、ポルナレフがひそりと声をかけて来た。
「なあ承太郎、花京院のやつ、大丈夫だろうか…」
ポルナレフもジョセフも、花京院の精神が参ってしまったと信じて疑わない。確かにその可能性を完全に捨てることも出来ないだろう。何せこの仲間たちは、まだ知り合ってせいぜい一ヶ月ほどの関係だ、彼らの全てを理解していると思うのはきっとおこがましい。
しかし、だからこそ承太郎はそうでない可能性で花京院を見ている。そうである可能性は他二人に任せておけばいい。承太郎は、どんな事態でも対応出来るよう、また自身の直感を信じて、断じて花京院はそんな弱い男ではないと信じて見ている。
承太郎の視線の先の花京院は、焚き火の前に座しているというのに顔色は真っ白だ。ひどく思い悩んだ顔をしている。これがイカれてしまったやつのする表情だろうか。イカれてるやつというのは、自分がそうであるという自覚がなく至って平然としているか、逆に自覚を持って開き直っているかのどちらかだ。しかし承太郎の目の前の花京院はそのどちらでもなく、この仲間たちの視線に傷付き、苦悩している。また、自分のせいで歩みがストップしてしまったことをひどく悔いている。
やはり何かが花京院の身に起きているのではないか。そう思った承太郎は、では何故、と歯噛みせずにはいられない。では何故、それをこのおれにも打ち明けないんだ、と。
花京院とは何かと一緒に行動することが多かった。ガクセーはガクセー同士、といつだったか花京院が言ったが、それに承太郎を含む全員が納得したから、ホテルの部屋割りや買い出しなどは大体花京院とペアだった。
だからなのか、はたまた単純に同じ国のほとんど歳の変わらぬガクセー同士だったからなのか、もしくは承太郎が花京院という人間をひどく好ましく思っていたからか、とにかくこの仲間たちの中では一番花京院と良く話をした。
この国に来る前だって話をしたではないか、日本に帰ったらああしようこうしよう、と。そのとき花京院は何て言っていた、自分たちのような仲間をずっと求めていたんだと、そう言ってあんなに嬉しそうに笑っていたというのに。
そんな顔をするな、と承太郎は口に出してしまいたくなる、目の前で悩み苦しむ花京院に向けて。何か悩んでいるなら話して欲しい、苦しんでいるなら打ち明けて欲しい、いつでも花京院は承太郎の気持ちを汲んでくれる、ならば自分にも汲ませて欲しいと承太郎は思う。
しかし花京院という男は、そんなにヤワじゃあない。そのことを承太郎は良く知っている。
承太郎が思うような何かがあるのかもしれない、またはジョセフやポルナレフが思うように単に精神が参ってしまっただけのかもしれない、たとえどちらであったとしても、または全然違う理由であったとしても、花京院は必ず自分でケリをつける。助けが必要ならば必ず自分から手を伸ばす。自分一人で大丈夫ならば必ず一人で立ち上がる。
そうであると信じているから、承太郎は彼の傍らに立ち続けることだけを選ぶ。
「…花京院」
片手に自分用のコーヒー入りのカップ、もう一方に花京院用の最近彼が気に入っている紅茶入りのカップを持って花京院の前に立つと、花京院は静かな面持ちで顔を上げた。…相変わらず、その顔色は悪い。
紅茶のカップを手渡すと、花京院は小さくありがとう、と応えてくれた。口を開いてくれたことが嬉しくて承太郎は花京院の顔を覗き込むが、花京院はそれ以上今は語る気がないようだった。
ふと視線を上げれば、砂漠という遮るもののない大地を全て覆い尽くす星空。こんな景色は日本では決して見ることの叶わないもので、たとえどんなに苦しい旅路であろうと、こうして時々訪れる一瞬一瞬が承太郎にこの世界の美しさを感じさせてくれる。そして、だからこそこの旅を続ける意味があるのだと、再度決意を奮わせてくれる。
承太郎は二歩三歩と歩みを進め、花京院の横を通り過ぎ、花京院に背を合わせる形で立ち止まった。手にしていたコーヒーを一口啜る。今夜はやけにほろ苦い。それはもしかしたら、背後で花京院が目を伏せてしまったのを感じ取ってしまったからなのかもしれない。だから、
「…星が、すげー、綺麗だぜ」
背を丸めるなんてらしくない、いつものように、凛と背筋を伸ばして、上を見て欲しかった。承太郎が今見ている果てしない星空を、一緒に見て欲しかった。
その星空の中に立つ自分を、いつもと変わらず、ずっと見つめていて欲しかった。
ジョセフが、救援が来たらそれに花京院も乗せて帰国させようかと考えているのを承太郎は知っている。ポルナレフもそれがいいだろうと言っているのも知っている。しかし、それを花京院が望まない限り、決して承太郎はそんなことをさせはしないと思う。
花京院は、他の誰のためでもない、己のためにこの旅をしているのだから。途中でリタイアさせるなど、彼のプライドを無視した行動を承太郎は絶対に許さない。
だから、花京院。早くケリをつけてくれ。祈る言葉を口に出さない代わりに、承太郎はタバコをくわえて火を点けた。
花京院なら大丈夫。きっとその聡明な頭で必ず答えを見つけ出し、ぞくぞくするほど狡猾に徹底的に、全ての原因をブチのめしてくれるだろう。
一人の手足で足りないならば、ここにはまだ三人も仲間が居る。
だから、全部にケリがついたなら、もう一度、今度は並んでコーヒーを飲もう。二人で。みんなで。
この夜が墜ちたら。
***
暗い、闇の中だ。しかし、閉じた瞼の向こう側からは、限りなく薄くて淡い、ぼんやりとした光源を感じることが出来る、ような気もしている。
そうであるならば大丈夫だと、花京院は目の前の仲間たちに微笑う。
ほんの一瞬の油断だった。いや、あれを油断と呼んでもいいものなのだろうか。水が、目にも止まらぬ速さで襲いかかって来て、それに対応出来る術を正直花京院は持っていなかった。
ジョースターさんなら出来たのだろうか、アヴドゥルさんなら、ポルナレフなら、承太郎ならば。そのことを考えていくとどうにも気が滅入るので、なるべく花京院は考えないようにしていた、治療の間中ずっと。
しかし、見舞いに来てくれた仲間たちと相対するうちに、…包帯を巻かれて塞がれた視界の向こうでも感じる承太郎の気配に、それではダメなのだと花京院は思い直す。
彼らと共に歩いていくならば。彼の横に、立ち続けるのならば。
「数日したら包帯が取れる。すぐにきみたちの後を追うよ」
殊更何でもないことのように微笑い、少し大げさ過ぎるほどの作り話(中学の同級生の話だ。さすがに翌日に治っているなんてことはなく、しっかり後遺症も残っていた)をしてみせたが、それでも承太郎から迷うような雰囲気が消えることはなかった。
実際、花京院の怪我は見た目ほど重症ではない。勿論治療をせずにいたならば、視力の低下や最悪失明という事態にもなったのだろうが、きちんとした病院できちんと手当さえ受ければ、しっかり治るものだと医師からも言われている。それをジョセフ経由で聞いているだろうに、どうにも承太郎は不安を拭えないでいるらしい。
やれやれ、は彼の口癖だったかと、花京院はこっそりと溜め息を零した。
あれこれみんなとやり取りをしている内に、ジョセフは花京院入院中の警備について財団と連絡を取るため席を外し、アヴドゥルは自身の怪我へと処方される薬を取りに、ポルナレフはトイレへと席を立ち。
承太郎だけが部屋に残って、ようやく、花京院ははっきりと肩を竦めてみせることが出来た。
「…それで、承太郎。余り聞きたくはないんだが、言いたいことがあるならはっきり言ったらどうだい」
ふ、と承太郎は息をついたようだった。それが驚きなのか観念から来たのか、はたまたそれこそやれやれだぜ、とでも言うように苦笑でもしたのか、見えないというのは本当に残念だと花京院は思う。
「…本当に、大丈夫なのか」
心底から心配している声音。しかし、それに花京院が覚えるのは苛立ちと焦りだ。
たとえば、あの水のスタンド使いは盲目で、であるからこそ他の感覚が鋭く、攻撃も遠く離れたところから音を頼りにしていたのだという。その正確性は攻撃を受けた花京院が言うのも何だが見事なもので、昔で言えばかの有名なヘレン・ケラーなど、人々が当然としているものが欠けてしまっている人たちこそ、その他の部分で普通の人々を凌駕する。
花京院はつい先日一つの感覚を一時的に失っただけに過ぎず、だから彼らと比べることは出来ないのだけれど、それでも元々の勘の良さも手伝って、今の承太郎の考えが手に取るように分かってしまう。
これはある意味僥倖か、と一瞬脳裏を過ったがしかし、きっと視界を遮られることがなくとも承太郎の顔を見れば同じことだと、花京院は承太郎からかけられた言葉の更に奥を突く。
「きみは、ぼくにリタイアして欲しいのかい」
思った以上に鋭い声が出て、僅かに承太郎が怯んだのが分かった。
まだ一ヶ月強の付き合いとはいえ、毎日寝食を共にして、まるで家族のように濃い時間を花京院と仲間たちは過ごして来た。その中で花京院と承太郎は多くの時間を共有し、多くの会話を交わし、花京院が今まで誰にも話したことがなかったことも惜しみなく話して来た。
承太郎という男は、不良然とした見た目によらずなかなか観察眼が鋭く、頭の回転も速く、人の気持ちをちゃんと慮れる男だ。それを表現して伝えるのは不得手なのか本人が必要ないと判断しているのか、とにかく他人から見たら分かり辛いのかもしれないが、その分奥にとても優しい心を持っている。
そんな男が、この一ヶ月で花京院という人間を見誤るわけがない。
ここで花京院にリタイアを勧めるなど、それがどれだけ花京院にとって屈辱かを分からない男ではない。
だから花京院は、塞がれた視界によって睨め付けられない代わりに、きつく唇を引き結んで承太郎に対峙した。
「そうじゃあない」
承太郎が、花京院の居るベッドの横にある小さな椅子に腰を下ろしたようだった。みしりと軋む音に、彼が規格外の大男であることを思い出す。
しかしその大男は花京院にとって恐れる対象ではなく、その徹底的で唯我独尊的な強さも内に在る優しさも、全てが尊敬を抱く対象であり、とにかく好ましくて仕方がないのだ。
その男の傍に立ちたいと花京院は望んでいる。常にその男の背に立ち、彼の見つめる先を共に見たいと思っている。それなのに、その相手から自分では力不足だと思われてしまうなど――――、
「そうじゃあねえんだ。てめーが弱いとか、足手まといだとか言ってんじゃあない。ただ……目が見えなくなっちまうのは困る。それだけだ」
花京院は見えていないというのに、それでも承太郎は学帽の鍔を下げているようだった。いつものごとく照れ隠しに。
そんな承太郎の様子に花京院はぽかんと呆けてしまって、つい、何でもないことを問いかけてしまう。
「何で、ぼくの目が見えなくなってしまったらきみが困るんだい」
「……日本に帰ったら、一緒に相撲観に行くって、約束したじゃあねえか」
冷静になって考えれば、それは当然罪悪感だったのだろう。たとえ花京院が己のためにこの旅をしているといっても、ジョセフや承太郎からしてみればあくまでこれは自分たちの血縁の問題、だからといって花京院たちをまったくの無関係と割り切っているわけではないし、花京院たちそれぞれのDIOに思うところやこの旅に同行する意思を尊重してくれている。しかし、この旅の終わりと始まりに立つDIOという存在は、ジョースター家の仇敵なのだ。
または単純に、本当にただ一人の仲間を心配する思い。後になって痛いほど花京院は知ることになるのだが、共に旅した大切な仲間の一部でも全部でも失われるのは本当に辛い。
だからそれは、承太郎なりのジョークだったのかもしれなかった。けれど花京院はその真意を量ることなく――――ただ、笑った。大きく口を開いて、腹を抱えて、ただただ、笑い転げた。思わず目に滲んだ涙が傷に染みて痛かったのだが、痛い痛いと言いながら、それでも笑いは止まらなかった。
承太郎は、突然大笑いし始めた花京院に不機嫌に舌を打ったが、さすがに花京院が痛いと言い始めたら、いい加減にしろ、と背を叩いて落ち着かせようとしてくれた。
そうこうしている内に席を外していた三人が戻って来て、そうして、やっと落ち着いた花京院と暫しの別れの挨拶を交わす。
「承太郎」
みんなが背を向けて病室を去っていく中、最後にその部屋の扉を出ようとしていた承太郎を花京院は呼び止める。
「ぼくは、必ずきみたちのところに帰るよ」
少し、間が空いた。そして、窓が開いていたわけでもないのにふわりと空気が流れたような気がしてすぐ、温度のない指先が花京院の包帯の上をそっとそっとなぞっていった。
「……待ってるぜ」
彼の気配と共に、音もなく現れた彼の分身の指先の感触も消えた。
(さて、)
どうやらこれから忙しくなりそうだ。花京院はどさりと、起こしていた背を勢いよくベッドへ沈ませる。
医師の見立てでは一週間もあれば退院は可能だそうだ。勿論それは、現在日本でホリィの元にもついているSPW財団の抱える医師及び最新の医療技術をふんだんに駆使して、である。
一週間。長いと取るか短いと取るかは、これからの花京院の行動次第。
花京院は考えていた。この先もどんなスタンド使いが襲って来るのか分からない。いや、今日の日付と状況を鑑みるに、合流してすぐDIOと闘うことになるかもしれない。未だそのスタンドの能力が分かっていないDIO。――今回のように、突然の予想も出来ない攻撃に対応出来ないようでは、それこそ本当にただの足手まといになってしまう。
ハイエロファント、と花京院が呟くと、柔らかな触脚がするりするりと現れて花京院の身体に巻き付いた。
花京院は考えなくてはならない。己が出来ること、ハイエロファントが出来ること。次に誰がどんな不意を突かれても、どんな攻撃を受けても、もう二度と倒れないように。
彼らと共に闘うために。
承太郎の傍に在り続けるために。
(承太郎)
横になるとちょうど部屋の壁が陰になって、光を感じさせない暗闇が花京院を覆っていた。ハイエロファントの淡やかなエメラルドも、当てられたガーゼと幾重にも巻かれた包帯の厚み、閉じられた瞼という何重もの障害を越えては届いて来ない。
だから今、花京院が瞼の裏に思い描いているエメラルドはただの空想であろう。ハイエロファントと同じ色、しかしそれよりも深く強く輝き、ただ一点を見据えて星となる。
今は暗い闇の中。けれどその星は、全てを切り裂き花京院を導くのだ。
この目を開いてもう一度見たい。見れるだろう。見てみせる。
この夜が墜ちたら。
***
危険な旅だということは重々承知していた。
事実、アヴドゥルは後ほんの少し弾道がずれていたら簡単に眉間に穴を開けていただろうし、花京院だって後ほんの少し傷口が深ければ永遠に光を失っていただろう。ポルナレフは脚の肉を少しばかり失くしてしまった。
そうして結局、一度は運良く一命を取り留めたはずのアヴドゥルとすでに片方の前脚を失っていたイギーは、その生命すらも失ってしまった、らしい。
承太郎はその二人の最期を見ていない。ポルナレフを疑うわけでは決してないが、しかし実感はどこか遠いところにあった。信じられないのかもしれない、つい先ほどまで顔を見て会話を交わしていた相手がもうこの世界のどこにも居ないだなんて。
失われてゆく命を目の当たりにするまでは。
視線の先、DIOの背後で横たわるジョセフは、常日頃の人を食ったような飄々とした余裕など欠片も感じさせず、ただひたすらに必死だった。ジョセフのこんな姿を承太郎は見たことがない。たとえどんな事態に陥ったってこの祖父は、少し余裕と遊び心を忘れない男だった。それを言葉にでもすれば調子に乗ってつけ上がるから、承太郎は彼の今際の際(この場合は当然寿命ということだ)であろうと伝える気はなかったのだが、ジョセフという男が自分の祖父であること、彼の血を継いでいることを心底誇りに思っていたし、一人の男として尊敬もしていた。
その男が、深い痛手を負い、承太郎に逃げろと言っている。この逃げろという言葉はジョースター家伝統の戦法を指しているのではなく、その言葉通りの意味で言っているのだ。
そして、承太郎ははっきりと見た。ジョセフの、承太郎に向けて伸ばされた手に絡み付いていたハーミットパープルが、まるで灰のように霧散していくのを。
嫌な予感だ。敬愛する男を傷付けた目の前に立つ相手に対する怒りで充満していく脳に、僅かな不安が入り込む。
承太郎は、今に似た光景をどこかで見たような気がしていた。そんなに昔のことではない、寧ろ、ついさっきと言ってもいいほどのことだ。どこで見た、何を見た、どこで……
「――花京院のやつも…すでに始末してやったぞ……」
そう、承太郎には見えたような気がしたのだ。つい先ほど、屋根伝いに一人DIOに追われているジョセフを見上げたときに、すっかり陽の落ちた夜空に散っていくエメラルドの欠片を。儚く溶け消えていくその輝きを。
一歩、承太郎は足を踏み出す。一歩、二歩、三歩。目の前の化け物は嗤っている、祖父の言いつけを聞かないのかと嗤っている、しかしそんなこと承太郎には関係ない、ブチのめすと決めた相手が目の前に居るならばブチのめすだけだ。
信じられるものか、と承太郎は思う。
花京院は強かった。敏く、賢しく、強かで、狡猾で、容赦がない。そんな男があっさりとやられてしまうはずがない。
また、怪我を負ってしまったのかもしれない。それでこの場に居ないだけ、きっとそうだ。
怒りにまかせたラッシュを繰り出しながら、全身で抱え込んだ怒りを爆発させながら、脳のほんの隅っこで、心の中のほんの僅かなスペースで、承太郎は考える。花京院のことを考える。
動けるならばきっといつかこの場に花京院は現れる。動けないほどの怪我だとしたら…、しかし、財団のやつらも確実にこのカイロに入っている、この騒ぎが何であるかを理解している、であるならば倒れる花京院を放っておくはずがない、いや、そもそもそこらの市民だって、さすがに怪我を負って倒れているやつをそのまま放っておくことなどしないだろう。
――大丈夫。花京院はきっと大丈夫。
DIOは言う。花京院がそのスタンドの能力を暴いたのだと。
ほらみろ、と承太郎は思う。誰もが暴けなかったやつの能力を花京院はあっさりと見抜いてみせた。能力を見抜いたならば、その対策だってきっと考え付いただろう。そこまで分かっていて花京院は遅れを取るようなやつではない。
――大丈夫。花京院はきっと大丈夫。
スタープラチナに己の心臓を掴ませ鼓動を押し止めながら、承太郎は思う。花京院のことを思う。
もしもこのまま、まあ絶対にあり得ないのだが、死んでしまうようなバカを犯したら、花京院に顔向けが出来ない。この目の前の化け物を倒したら、自分たちは日本へ帰るのだ。そうしたら、前に話したように共に学校に通おう、昼飯も一緒に食べよう、放課後は花京院の部屋でゲームでも教えてもらおう。そして休日には相撲観戦へ。そういう約束だ。そう約束したのだ。だから今このまま死ぬわけにはいかない。
そして、花京院典明という男もまた、一度交わした約束を破るような男ではないのだ。
――だから大丈夫。花京院はきっと大丈夫。
命が、失われてゆく。承太郎の祖父、ジョセフの魂が。
承太郎の尊敬する男は、消えゆく最期まで承太郎へと助言を遺してくれた。そして、愛を紡いでくれた。
曰く、なるべくしてなったのだと。一人が繋いで、また一人が繋いで、そして一人、また一人……。
ジョセフはこの旅を、「旅行」、と言った。承太郎は思い出す、まだ自分が幼い頃、もう少し素直に父母にも祖父母にも接せられていた頃、一番長い夏休みになると彼らは色んなところへと旅行に連れて行ってくれた。まるでその旅行と今の旅が同じものであったかのように、楽しかったと、ジョセフは笑った。
その気持ちは承太郎も同じだ。色々あった。承太郎自身だけでなく、仲間たちも少なくない傷を負った。傷どころか……。
それでも、楽しかった。ホテルの部屋に集まってやったカードゲーム、広い世界を歩いて来た仲間たちから聞く冒険譚、写真集でしか見たことのなかった景色、初めての砂漠、いつかの夜に見た遮るもののない星空。
おまえは楽しかったか、と。ジョセフの昇っていった虚空を見上げながら、承太郎は思う。
――…………。
時は止まった。DIOではなく、承太郎の手で。
誰も、何も、動くことは出来ない。それは、何とも寂しい世界だった。
時が止まるから何だと言うのだろう。目の前で高笑いを続ける、この世界の中で承太郎以外唯一動ける、けれどもうすぐ動きを止めるだろう男の背を見ながら、承太郎はつい嗤ってしまった。
こんなもので本当にこの世界を支配出来ると思ったのだろうか。
こんな、ただ人を殺すことしか出来ない能力で。
時を止めたらなら、一時的には、大切なものが失われるのを止められるかもしれない。しかし、それもほんの一瞬のこと。時が動き出したなら、それはやっぱり失われるだけだ。失われないように時を止め続けることは出来ないし、そんなことをしたら万一手を打てば失われずに済むかもしれないという可能性に賭けることも出来ない。
つまりそれは、結局何も得られないということだ。
だからかもしれない。DIOに対する慈悲の気持ちも同情もまったくないと言いつつも、承太郎がフェアな勝負をDIOに持ちかけたのは。ほんの少しでも、哀れに思う気持ちがあったのかもしれない。
こんな空の玩具箱に執着して愉悦を得ているなど、余りにもバカで下品で惨めだという、見下げ果てた上での憐みの気持ちが。
そうして、下品で惨めな肉塊に変わり果てたDIOを見下ろして、承太郎は思う。ただ、思う。
陽が昇れは全てが終わる。
全てがもう、戻りはしない。
この夜が墜ちたら。
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