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最近のYOSHIKI様の露出の多さのため、そういえば、とふと気付いたら、
情報リリースからそれとなく気になっていたこの映画、とっくに公開されてて、今の露出はこれのBlu-ray&DVD告知だと知って。
うわーと思って取り急ぎ、GYAOで。
わたし自身は、Xのファン、とは呼べない存在だった。
TV番組やラジオや有線で存在も曲も勿論知っていて、友達がファンだと言っていたくらい。
そして流れる曲全てわたしも好きだと思っていたくらい。
それでも当時は他に好きなアーティストが居て、そちらの方が先に活動休止をしていたから、1997年の解散時は、それほど大きなショックを受けなかった。自分の経験から、ファンだと言っていた友達の心配の方が大きかった。
だけど、HIDEが。あの時の衝撃は今でも覚えてる。そしてそれほどの衝撃を受けた自分に、今振り返っても驚きしかない。
今言葉にするなら、何だろう、隣の家の人、くらいの距離感だったのかな。
ずっと遠からず近からずなところに居て、ごくごくたまに顔を合わせば会釈するくらいな。
身近なようでいて少し遠くて、でもそれなりに知っている、やっぱり近いところの死。
ただただ、呆然とした。ワイドショーをずっと食い入るように観ながら、ずーっと呆然としてた。告別式の映像もずーっとTVで観てた。
あの場に行く資格はないと思った。彼の死に涙を流す資格はないと思った。だってCD買ったりライブに行くようなファンじゃなかったから。
でも曲は好きだった。ちょうどhide with Spread Beaverとしてメディア露出もずっとあってずっと観てて、その程度には近しい死だった。
あの何日間かの記憶は全くない。空から撮った川沿いにファンがたくさん映ってる映像だけが残ってる。泣く資格はないと言いつつ泣いたのかもしれないし、結局泣けなかったのかもしれない。それも覚えてない。
多分、そういう喪失が初めてだったんだと思う。自分が好きだと思っていたものの喪失が。
人間関係が拗れに拗れて距離を置いたり置かれたりしたことはあったけど、こうも突然に唐突に無情に何の予感もさせず強引に失くすことが初めてだった。
そして、そのことに本当に芯から心を痛めて泣き叫ぶ人たちほど、近い距離に居なかったことも。
ショックと遠慮とそれでもある喪失感に対処出来なくて、ただあの時のわたしを無にしたんだと思う。
それからの色んな報道、死の原因や洗脳報道、大分時が過ぎた後の再結成。
その時々で、自分がどう受け止めていいのか、いつまでも戸惑っていた。ファンじゃないから口出す権利なんてない、そういう感じで。
だってわたしは今でも、自分の生活が慌ただしければ情報さえ追わずに、映画の公開が始まって終わったことすら知らない距離に居るのだから。
だけどわたしは、X JAPANが好きなんだと今になってやっぱり思います。
彼らの全てを追いかけたい程の距離じゃない、でも、曲が好きで、声が好きで、詩が好きで、歌が好きで、パフォーマンスが好き。
彼らの姿や声が耳に入るたび、20年前のブラウン管TVの映像が甦るくらい、HIDEの20年以上前の笑顔を見て涙が溢れるくらい、それでも一緒に歌を口ずさむくらいの距離感で。
ライブ、昔も今もずっとかっこいい。曲も、昔のも今のも全然遜色ない、あの曲たちがもう何十年も前のものだなんて全然思えないし、今の曲も昔と変わらずかっこいい。
ビジュアルも、YOSHIKIとHEATHは全然変わらないというか昔より寧ろ・・・?くらいだし、PATAはいい歳の取り方してると思う。Toshlは・・・そうね、本当色々あり過ぎた、色んなものが積み重なってるのが見える、でも今はあれでいいんだと思う。
HIDEも、今のみんなと並んで映ってても全然違和感ないね。映像だけで観てると本当にそこに居るようで・・・
多分わたしが生きている時代で、これだけかっこいいバンドは彼らが最初で最後だと思う。
彼らとの距離感が変わることは恐らくないけれど、そう思っているくらいの距離で、最後まで見届けたいと思っています。
情報リリースからそれとなく気になっていたこの映画、とっくに公開されてて、今の露出はこれのBlu-ray&DVD告知だと知って。
うわーと思って取り急ぎ、GYAOで。
わたし自身は、Xのファン、とは呼べない存在だった。
TV番組やラジオや有線で存在も曲も勿論知っていて、友達がファンだと言っていたくらい。
そして流れる曲全てわたしも好きだと思っていたくらい。
それでも当時は他に好きなアーティストが居て、そちらの方が先に活動休止をしていたから、1997年の解散時は、それほど大きなショックを受けなかった。自分の経験から、ファンだと言っていた友達の心配の方が大きかった。
だけど、HIDEが。あの時の衝撃は今でも覚えてる。そしてそれほどの衝撃を受けた自分に、今振り返っても驚きしかない。
今言葉にするなら、何だろう、隣の家の人、くらいの距離感だったのかな。
ずっと遠からず近からずなところに居て、ごくごくたまに顔を合わせば会釈するくらいな。
身近なようでいて少し遠くて、でもそれなりに知っている、やっぱり近いところの死。
ただただ、呆然とした。ワイドショーをずっと食い入るように観ながら、ずーっと呆然としてた。告別式の映像もずーっとTVで観てた。
あの場に行く資格はないと思った。彼の死に涙を流す資格はないと思った。だってCD買ったりライブに行くようなファンじゃなかったから。
でも曲は好きだった。ちょうどhide with Spread Beaverとしてメディア露出もずっとあってずっと観てて、その程度には近しい死だった。
あの何日間かの記憶は全くない。空から撮った川沿いにファンがたくさん映ってる映像だけが残ってる。泣く資格はないと言いつつ泣いたのかもしれないし、結局泣けなかったのかもしれない。それも覚えてない。
多分、そういう喪失が初めてだったんだと思う。自分が好きだと思っていたものの喪失が。
人間関係が拗れに拗れて距離を置いたり置かれたりしたことはあったけど、こうも突然に唐突に無情に何の予感もさせず強引に失くすことが初めてだった。
そして、そのことに本当に芯から心を痛めて泣き叫ぶ人たちほど、近い距離に居なかったことも。
ショックと遠慮とそれでもある喪失感に対処出来なくて、ただあの時のわたしを無にしたんだと思う。
それからの色んな報道、死の原因や洗脳報道、大分時が過ぎた後の再結成。
その時々で、自分がどう受け止めていいのか、いつまでも戸惑っていた。ファンじゃないから口出す権利なんてない、そういう感じで。
だってわたしは今でも、自分の生活が慌ただしければ情報さえ追わずに、映画の公開が始まって終わったことすら知らない距離に居るのだから。
だけどわたしは、X JAPANが好きなんだと今になってやっぱり思います。
彼らの全てを追いかけたい程の距離じゃない、でも、曲が好きで、声が好きで、詩が好きで、歌が好きで、パフォーマンスが好き。
彼らの姿や声が耳に入るたび、20年前のブラウン管TVの映像が甦るくらい、HIDEの20年以上前の笑顔を見て涙が溢れるくらい、それでも一緒に歌を口ずさむくらいの距離感で。
ライブ、昔も今もずっとかっこいい。曲も、昔のも今のも全然遜色ない、あの曲たちがもう何十年も前のものだなんて全然思えないし、今の曲も昔と変わらずかっこいい。
ビジュアルも、YOSHIKIとHEATHは全然変わらないというか昔より寧ろ・・・?くらいだし、PATAはいい歳の取り方してると思う。Toshlは・・・そうね、本当色々あり過ぎた、色んなものが積み重なってるのが見える、でも今はあれでいいんだと思う。
HIDEも、今のみんなと並んで映ってても全然違和感ないね。映像だけで観てると本当にそこに居るようで・・・
多分わたしが生きている時代で、これだけかっこいいバンドは彼らが最初で最後だと思う。
彼らとの距離感が変わることは恐らくないけれど、そう思っているくらいの距離で、最後まで見届けたいと思っています。
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